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2012/09/23

第七劇場広島公演「班女/邯鄲」

Hanjokantan

・2012年9月22日(土)19:30-、23日(日)13:00-/18:30-
・広島市東区民文化センター スタジオ
・一般 2000円 / 学生 1000円
・原作  三島由紀夫「近代能楽集」
・構成・演出 美術  鳴海康平
・出演  佐直由佳子、木母千尋、小菅紘史、菊原真結、米谷よう子、伊吹卓光、仲谷智邦、石井萠水
・アフタートーク 鳴海康平×岩崎紀恵
東区民文化センターweb
第七劇場web

せっかく広島で三島作品が見られるので、初日と2日目マチネの2回を見に行きました。
第七劇場の舞台を拝見するのは初めて。
2006年から取り組まれて定評のある「班女」と、新作「邯鄲」の組み合わせです。

『近代能楽集』は三島由紀夫の代表的な戯曲の一つですが、「サド侯爵夫人」や「鹿鳴館」などのある程度上演形態が決まってしまう作品と異なり、能が原曲だということも大きいのでしょう、どのような演出も許容するような変幻自在さ・底無しの可能性を秘めた作品群です。
上演があるたび、戯曲のどんな側面を掘り出してくれるのか楽しみに劇場に向いますが、このたびの第七劇場公演は、これまでの三島舞台にないトーンでの上演でした。

「邯鄲」の上映時間が55分、転換のための5分の休憩をはさんで、「班女」が30分弱。
一般的な『近代能楽集』各作品の上映時間は40~50分といったところですから(「邯鄲」は他作品に比べてやや長め)、かなりスピード感のある上演だと言えましょう。
狭いスタジオ公演、抑えた照明、モノトーンで無機的な装置、電子音も使った音楽、シンプルな衣裳、パフォーマンス・アートな雰囲気の演技、抑揚を抑えた異化的で早口なセリフ。
いわば《モダニズム近代能楽集》・《アバンギャルド近代能楽集》ですね。

そうした試みがより面白く感じられたのは、何度も上演されているという「班女」よりも、むしろ新作「邯鄲」のように思えました。

〈以下、ネタバレあります。〉

「邯鄲」
──自分の人生は終わったと悟りきった青年・次郎が、かつて乳母だった菊が住まう田舎を十年ぶりに訪ねて、菊の持つ邯鄲の枕で眠る。次郎は精霊たちの見せる栄耀栄華の夢をすべて拒否して、「生きたい」と決意し、夢から覚める。すると菊の夫が出ていってから咲くことのなかった庭の花々が一度に咲きほこる。──

舞台上手に机と丸イス、下手に椅子が一つ。机上には積木。
何度も暗転を繰り返し、次郎と菊の二人が対話する冒頭の現実の場面から精霊たち(仮面はつけない)が消えては現れる。
邯鄲の枕による夢の場面では、妻を肉体としての女性と声だけの3人とに分化させ、抱く→倒す→引きずる→抱き起こす動作が繰り返され、日常生活が夢幻的に表現される。
次郎役の小菅紘史と菊役の木母千尋が存在感があり、セリフも実にうまい。金や電話などとして多義的に利用される積木の扱いが楽しい。

次郎の夢のはずなのに、なぜか菊が眠りにつき、次郎の夢の中でも積木を扱っているところなど、よくわからない部分もあったし、初日のためかセリフにつまる役者が散見されたものの、全体として面白い舞台でした。

終演後に演出の鳴海さんとお話させていただき、いろいろとわからなかった部分の意図を伺うことができました。
菊の眠り。あれは、死者に呼びかけていたのだとのこと。
つまり次郎は亡くなっており(→フクシマや震災の死者たちの総体を表し)、菊は死者を悼む親しい者・母的な者の総体であるとのこと。
う~む、なるほど。。
そういえば、冒頭も、まず菊が一人でセリフを語り、暗転の後に次郎が現れて菊が同じセリフを今度は次郎と対話していましたが、死者を識閾下で呼び出したということでしょうか。電子音も病棟の心電図の音のようでもありました。
同じ『近代能楽集』の「葵上」のような霊的な世界や、川端康成の「抒情歌」などに近い世界ですね。
また「班女」「邯鄲」の2作の共通テーマが「待つ」ことだと演出ノートに記しておられ、「班女」はともかく、「邯鄲」で「待つ」とは?と不思議だったのですが、死者を悼み召還することであるとすればよく理解できます。

鳴海さんは、3・11以後、どのように演劇を作っていくか、自分のなかで変わらざるをえなかったと話しておられました。
観客がこうした意図をどれだけ汲むことができたかはわかりませんが、私自身は、こうした『近代能楽集』の大胆な読み替えに意表をつかれ、三島戯曲の新しい解釈として新鮮に感じました。

一方の「班女」
──扇をとりかわした恋人が現れるのを待ち続ける狂女・花子。花子を「狂気の宝石」だと見なして愛し、共に暮らす中年の画家の実子。二人の前に吉雄が現れるが、花子は彼を本物の吉雄ではないと拒否して、吉雄は去る。花子はこれからも吉雄を待ち続けると述べ、「待つ」花子と「待たない」実子の二人の「すばらしい人生」がはじまる。──

舞台の横一列に3カ所、床に小さなオブジェ(左と中が小石、右が葉付きの枝)、それぞれ上から照明が下ろされる。3人の人物の深層を表している?

とくに花子のセリフが抑揚なく早口。観客にひっかかりをおぼえさせないかのごとく、各場の間もなく、舞台はするすると進行する。
実子が新聞紙を切り裂き、それを花子が雪に見立てる場面はなく、実子がばらまくのは絵の具。実子は赤い絵の具を白い床に絞り、掌で塗りたくり、それを自分の腕や服、頭にこすりつける。
なんともシュール。実子のエキセントリックな要素、あるいは心の傷を表現しているのか?

また、不思議だったのは、舞台の最後に吉雄が退場しないこと。
冒頭の実子の一人語りの場面で、すでに吉雄が舞台後方を通過する。これは、実子と花子の二人の世界に彼が影をさしていることの表現として、とてもうまい演出だと思う。
だが、結末は、ずっと影を落としていた吉雄が敗北し退場して、実子と花子の二人だけの幸福な世界に結実させなくてはいけないのではないか?

  花子「私は待つ」
  実子「私は何も待たない」  
  花子「私は待つ。……こうして今日も日が暮れるのね」
  実子「(目をかがやかせて)すばらしい人生!」

ところが戯曲とは違って、幕切れの実子は少しも楽しそうではない。
吉雄が舞台上にとどまることとあいまって、最終的にもまだ二人の世界にはなりきっていないという解釈なのだろうか? だとするとなぜ?

・・・正直なところ、「班女」の舞台は、頭に疑問符を浮かべつつ見ていました。

実子の絵の具について。
アフタートークの鳴海さんの説明によれば、吉雄の経済性や現実性に対して、実子は芸術家としての三島と重ねられているとのこと。
(実子=三島だとすれば、赤は三島の死のイメージなのだろうか?)

また、上演後にお話したところでは、結末に吉雄が退場しなかったのは、待つ対象を消すことなく、花子の「待つ」姿勢を純粋なものにしたかったからだとのこと。
実子の最後の語りも、けっして吉雄がいなくなってハッピー!というイメージにはしたくなかったと話しておられました。
・・・でもやはり、違和感は残ります。ただ私自身に、かくあるべしという「班女」像が固着しているのかもしれません。戯曲を再読してみようと思います。

アフタートークでも色々な話題が出ましたが、鳴海さんが語る「班女」演出の変遷が面白かったです。
「葵上」はある程度行き着くところまでいった感があるが、「班女」は上演を繰り返すたびに発展し見えてくるものがあるとのこと。
以前の「班女」演出は、師事していた鈴木忠志さんの影響もあって、和服や白塗りなど様式的な〈和〉の世界で作っていた。しかし、海外上演が重なるにつれてオリエンタルな見せ方が安易に感じられて排するようになり、モダンな舞台に転じたところで赤い絵の具を使った演出を着想したとのことでした。

今回の舞台、私自身は「班女」の解釈には違和を感じるところもありましたが、観劇後に種々の思いがわきおこり、人と話したくなる、そんな実験的な舞台でした。
鳴海さんは、まだ32歳とのこと。これからますます期待できる演劇人ですね。

※12月に「三島ル。」公演。
愛知・三重で、第七劇場shelfの2劇団による『近代能楽集』の公演があるようです。

長久手市文化の家 12月1日・2日・・「班女」(第七劇場)・「弱法師」(shelf)
三重県文化会館 12月8日・9日・・「班女」(shelf)・「邯鄲」(第七劇場)

2012/08/08

講談・神田香織師匠

Kandakaori_2

神田香織師匠の講演&講談を拝聴してきました(於・東区民文化センタースタジオ)。
うーん、講談の力はすごい。

故郷・福島のこと、講談師になったきっかけや、代表作「はだしのゲン」との出会い、DV被害のことなどを、笑いと怒りと泣きとが軽妙にリズムよく語られる。
あいまに消防士夫妻の悲劇を語る「チェルノブイリの祈り」と、横浜の米軍ジェット機墜落事件の被害者母子の死を語る「哀しみの母子像」のさわりを。
理不尽なものは許さないという気持ち、放射能への怒り、「講談は庶民の怒りの表現」・「虐げられた側から語る」という気概が伝わってきました。

講談も浄瑠璃・歌舞伎も、いまの古典も当時は新作。いちはやく話題の事件を台本化して舞台にあげていたのだ。

最後に和歌山カレー事件を扱った講談「シルエット・ロマンスを聞きながら」。
先日、映画「死刑弁護人」を見ていなかったら理解できなかったかもしれないと思いつつ、胸を打たれました。

講談は演者が一人で、ハリセンでリズムをとりつつ言葉のみで伝えていく。落語もそうだけど、なんともすがすがしい芸。
恥ずかしながら講談を生で見るのは2回目。
最初はもう10年以上前、前任校の公開講座で国語科が担当になり、「虚構」を統一テーマに実施。専任教員が数回担当したあと、ゲストとして同僚の大学時代の同級生だった上方講談の旭堂南海師匠に来ていただいて、講談のイロハとともに太閤物を演じていただいた。

今日はそれ以来。
神田香織師匠のお話だと、いまや講談師は男性より女性の方が多いのだとか。。
師匠によれば、原則としてオチやサゲをつける落語と比べて、講談は女性に向いているのでは、とのこと。
サインしていただいたご本にも、講談には話芸のエキスが盛りだくさんで、「あなたがもし教師か政治家だとしたら、話すのが仕事なんですから、ぜひとも活用していただきたいです。例えば、張り扇を使うのはどうですか。パーンと机を一叩きすると、居眠りしていても目がさめるはず」だって。
ハリセンで授業。・・・いいかも。。

2012/01/26

「金閣寺」凱旋公演

01

「金閣寺」日本凱旋公演
・2012年1月19日(木)~22日(日)
・梅田芸術劇場メインホール
公式ページ

・東京公演は、1月27日~2月12日
(於・赤坂ACTシアター)

宮本亜門演出、森田剛主演の「金閣寺」、ニューヨークでの上演をすませての日本凱旋公演。
明日から東京公演のようですね。
もう一週間前になりますが、私は大阪で見てきました。

初日でしたが、破綻なく、完成していました。
昨年2月の初演のレビューはこちらです。
昨年に比べて、今年は輪郭がクッキリした印象を受けました。
溝口-鶴川-柏木の、少年~青年期の男3人の物語という輪郭が、昨年よりさらに前面に出されていたように思います。
溝口-鶴川の明るい親交、溝口-柏木の陰影のある関係、柏木の告白を聞く溝口を見て去っていく鶴川。
肉体的な接触も随所にあり、ホモ・エロティシズムの要素が強まりました。
それは、腐女子向けサービス・・なんていうわけではなく、小説から亜門さんが読み取ったものなのでしょう。
小説「金閣寺」は、男性のコードでも、女性のコードでも読むことができますが、伊藤ちひろ台本は、父や老師も含めて、男同士の絆、モデル・反モデルの線で芝居を組み立てています。

と同時に、前半の溝口-鶴川の交友の場面のナレーターは柏木、後半の溝口-柏木の場面のナレーターは鶴川。
3人がリレーしながら「生きよう」という結末にいたるまで、3者が究極には同一のもの、観客も含めてみんなが溝口でありうる、といった示唆も生きていました。

もっとも、芝居から受ける印象は観劇条件にも大きく左右されます。
昨年はかなり後方の座席で、よくいえば舞台全体が見渡される、逆にいえば役者の細かい表情などは見えなかったため、大駱駝艦の方々のパフォーマンスや鳳凰のホーメイに目が引きつけられました。
今回は前列中央という恵まれた席で、役者を十分に追うことができたからかもしれませんが、若い男優3人の関係が強烈に印象づけられました。

森田剛クンは、溝口を完全に自分のものにしていました。
(体格的に似てるからか、野田秀樹さんの若い頃のような発声でした)。
大東クンはピュアな鶴川を、高岡くんはニヒルな柏木が映画版の仲代さんに重なって見えました。
再演で、とにかくアンサンブルがとてもよかったと思います。

演出では、昨年版でも印象深かった、溝口が出奔して舞鶴に行く列車の中で、過去が甦えってくるシーンがとにかくスピーディ!
亡くなったはずの父がかつて上京したときと同じく列車にいて、そこから、父-有為子-脱走兵-海機の学生-敗戦時の切腹兵(これは原作にはありません)-鶴川-米兵の女-南禅寺の女・・・と死者や死に関わる者たちが連続して表れ、ホーメイの強烈な声のあと、反転して、柏木-母-副司-老師・・・といった現世で強烈に生きる者たちの系列がつづいていくあたり、見事でした。

また、いよいよ金閣に火をつける場面も、一瞬のうちに四方の壁が取れて、強烈。
つまり溝口の内界と外界の壁が壊れて広々とした世界に出ていったというイメージです。
金閣放火のあと溝口がどのような認識に至ったかは、小説では書かれておらす、解釈も分かれるところですが、宮本演出では明確に一つの解釈を提示していました。

ところで、本公演終了後の2月15日にDVDが発売されるのですね。

B006QGXMGG 金閣寺-The Temple of the Golden Pavilion- [DVD]
avex trax  2012-02-15

by G-Tools

これはどっちの公演なのでしょう?
発売時期からして、昨年の舞台なのでしょうね。
映画版の2つの「金閣寺」……雷蔵の「炎上」とATG「金閣寺」とあわせて、長く楽しめそう。
私はもちろん買います!

2012/01/22

「オペラ班女」

Hanjo1

HIROSHIMA HAPPY NEW EAR OPERA Ⅰ
(広島の新しい耳)
「オペラ班女」
・台本・作曲・音楽監督/細川俊夫
・原作/三島由紀夫「班女」
・英訳/ドナルド・キーン
・演出/平田オリザ
・指揮/川瀬賢太郎
・演奏/広島交響楽団
・出演/半田美和子(花子)・藤井美雪(実子)・小島克正(吉雄)
・2012年1月20日(金)19時/1月22日(日)15時
・アステールプラザ中ホール能舞台
・上演時間 1時間40分
公式ページ

見てきました。「オペラ班女」。

2004年にフランスで初演、BSで少し紹介されて、ぜひ見たいと思っていました。それが広島で上演されるなんて!!
広島男子駅伝のゴールの時間帯でごったがえす平和公園前を通って、いざアステールへ!

全6場。
もともとエクサン・プロバンスの依頼で制作されたということもあって、歌は英語。
今回はセリフの部分は日本語でした。

能舞台の左手・脇正面の部分がオーケストラ・ピット。
舞台は正面鏡板の前に屏風。花子が部屋で休む場で、この屏風に隠れます。
屏風の前にロッキング・チェアが一つ。床には、裂かれた新聞紙が敷きつめられてますが、きわめてシンプルな作り。
キャストは洋服を着て、能舞台なのであしもとは足袋。

現代音楽独特の不思議な音色にあわせて、芝居が進んでいきます。
音楽は決して全面に出ず、背景という感じ。
実子の不安から、喜びへの変化。
花子の「狂気の宝石」の美。
吉雄の最初の勝ち誇った様子から、逃げ出していく様への変化。

オペラはあまり見ることはありませんが、とても演劇的な作りだと思いました。
とくに、吉雄が帰ったあとの花子の微笑みは、もしかして狂気のふりをしているだけ?と感じさせられたほど。
現実の吉雄を拒否すれば、ずっと待ち続けていられるのですから。
また「待つ」ことをつづけさせてくれる実子のもとにいられるのですから。

プレトークで細川さんは、平田オリザさんを演出に迎えて、演劇としてのオペラの可能性を追求したかったと話しておられました。
また自分の狙いは、種々のぶつかりあいであると。
・人間同士の、愛・嫉妬などのぶつかりあい。
・現実の響きと夢幻世界のぶつかりあい。
・セリフの日本語と歌の英語という、言語のぶつかりあい
・能舞台という日本と、西洋の楽器によってかなでられる音楽のぶつかりあい

アフタートークで、オペラ初演出の平田さんは、演劇のワークショップを行なって、キャストばかりか指揮の川瀬さんもずっと参加してセリフも練習されたといった挿話を披露。
そして、現代音楽については、単純な感情移入を妨げ、気持ちよくなる寸前に不協和音が入って、いわゆる「異化」効果があると話していました。
また、ディベートの部分が長いのが三島作品の特色であるとも。

私自身は、「近代能楽集」の自由度の高さが印象に残りました。
「サド侯爵夫人」や「鹿鳴館」はある程度、上演の形が決まってしまいます。それに対して、「近代能楽集」は、美輪さんのようなゴージャスの舞台も、蜷川流の解釈も、三条会のような実験的な演出も、そして今回のオペラ版でも、どのような味付けを行なっても見ることができる、変幻自在な作品だと思います。
英語の歌も、背景の現代音楽も、全く邪魔せず、作品自体を深めていく。

また、セリフが日本語、歌は英語、という2言語の切り換えも、思ったより違和感なく聞けました。
アフタートークで細川さんは、最初から歌とセリフを分けて作ったわけではなく、キーンさんの英語の台本をみながら作曲していき、うまく音楽にしずらい箇所をセリフに回し、あるいは音楽的な流れと会話とのメリハリを考えながら作っていったと話しておられました。
もともと三島の芝居そのものが詩劇なのですから、セリフと歌の区別はないとも言えます。

今回は広島のみの公演だけど、決して地方向けとは思っていない、国際的なものを目指しているのだ、とのお話でしたが、三島演劇の可能性を広げる貴重な試みだと思います。
再演を期待します。
その点でも、客席が埋まっていて嬉しく思いました。

2011/03/01

「金閣寺」三島由紀夫☓宮本亜門☓森田剛

Photo

KAAT神奈川芸術劇場のこけら落とし公演『金閣寺』を福岡で見てきました!

原作     三島由紀夫
演出     宮本亜門
原作翻案     セルジュ・ラモット
台本     伊藤ちひろ
出演     森田剛(溝口) 高岡蒼甫(柏木) 大東俊介(鶴川) 中越典子(有為子) 高橋長英(父+禅海) 岡本麗(母) 花王おさむ(副司) 大駱駝艦〈田村一行 湯山大一郎 若羽幸平 橋本まつり 小田直哉 加藤貴宏〉
岡田あがさ 三輪ひとみ 山川冬樹(鳳凰) / 瑳川哲朗(老師)

■2011年1月29日~2月14日 神奈川芸術劇場(KAAT)ホール
■2011年2月19日~20日 まつもと市民芸術館
■2011年2月25日~27日 キャナルシティ博多劇場
■2011年3月5日~6日 愛知県芸術劇場 大ホール
■2011年3月10日~13日 梅田芸術劇場 メインホール

最初のうちは、原作を丁寧に追っているけど突出した部分がなくて地味だなあ、なんて思いながら見てましたが、芝居の半ばぐらいから、これは地味に見えるけどスゴイかも・・と興奮し始め、見終わったときには大満足で劇場を後にしました!

まとまりはないですが、帰広以来ちまちま書いていたメモを、そろそろupしておきます。
キリがないしね。

《以下、大いにネタばれアリです。》



舞台はシンプルなつくりで、正面には黒板。
舞台上は全体に暗めで、華やかで明るい照明が使われることはほとんどない。
セットの展開は、大駱駝艦の方々による人力で。たとえばテーブルが組み合わさり、動かされることで道路になり、上を歩く役者の動きに合わせて道路がどんどん継ぎ足されていく、といった具合。
寺の日常生活を集団で早送りして見せるところなど、スピード感もあって面白かった。

開演前にすでに役者たちが普段着(というか現代の衣装)でたむろしている。
時間になると、『金閣寺』の冒頭部分を交代で朗読し始める。
次第に主人公である溝口(森田)に焦点化して芝居が始まるが、その後も、舞台の前半は柏木(高岡)が、後半は鶴川(大東)がナレーターを務める。
小説『金閣寺』は溝口の一人称で記述されていて、芝居でも柏木と鶴川のナレーションによって、溝口の見た外界や彼の内面が吐露される仕組み。
ナレーターとしての彼らは劇中の衣装ではなく普段着で、この作品世界で示される溝口の思いは現在のわれわれと地続きなのだと示しているかのよう。

明暗両面をもっていた鶴川と、内飜足によって自己誇示せざるをえない柏木の二人が溝口のナレーターとなることにより、異なった個性をもった溝口-柏木-鶴川の3人の若者が実は一体である印象を受ける。
溝口と鶴川が肩を組む場面や、柏木と溝口が話すところを凝視して立ち去る鶴川など、男同士の親密な関係も示唆される。

溝口が固執する金閣は、セットではなく、人間が演じる。
金閣を擬人化するというと前衛的な演出だと思われがちだけど、妙なケレンや違和感はなかった。
金閣(鳳凰)を演じる山川冬樹は、長髪でスリムな体躯で、男性でも女性でもなく性別不明な、時間を超えて中世から脈々と存在してきた建造物を体現していた。
そして折々にものすごい音声を立てて、溝口(と観客)を脅かす。ホーメイというのだそうだが、とても人が発する声とは思えなくて、このボイス・パフォーマンスのたびに大いに驚かされた。


さて、神奈川公演を見た方々のレビューで前もって教えられていたとおり、今回の舞台は原作である三島の『金閣寺』の主要なモチーフをほぼ網羅していた。
中盤まで地味な印象を受けたのは、ややもすると原作のダイジェスト版に見えかねないためだったのかもしれない。
でも細かく見ると異なったところもあって、おそらくそれが宮本亜門版「金閣寺」のキモなのだと思う。
全体に原作のモチーフの配置をまとめることで、メッセージを明瞭にしていた。

父(高橋)が溝口の目を覆って母(岡本)の不倫を見させなくするシーンの回想は、原作では父の一周忌で母が金閣寺に来るところにおかれていたが、舞台では柏木が老婆との初交渉を再現する場面まで遅延される。
もう一人の溝口ともいえる柏木と老婆のセックスに重ね合わされることで、母への屈折した愛、エディプス・コンプレックスが暗示されているかのようだ。

また、寺を出奔して舞鶴に行く車中でも、回想が挿入される。
一つは「死」の系列。溝口が短剣を傷つける海軍機関学校の生徒(彼は、敗戦の日に切腹する)-有為子-有為子の相手の軍人-父-鶴川。(順番はうろおぼえ(^^;;))
もう一つは「妊娠(と生れてこない子ども)」の系列。生け花の師匠-米兵と共に来た娼婦-そして有為子。
前者は基本的に男たちで、後者は女たち。
それらの回想の果てに、父の葬式の場面(本火を使用!)がカットバックされて、「金閣を焼かねばならぬ」という想念にたどりつく。
金閣を焼くことが、すべてのコンプレックスの根源である父と女によって産み出された生命を抹消することであるかのように。

また、小説では、溝口は金閣放火の前に遊廓に行く。それまで女性と性的な関係を持とうとするたびに現れていた金閣に邪魔されることなく、まり子という娼婦と性的な関係を結び、それを契機として金閣に火をつける。
この遊廓の場面が、舞台ではまるごとカットされていた。

溝口は、吃りであることで、有為子に象徴される現実の女性と交渉できないというコンプレックスをもっていて、その根っこには母への愛憎がある。
だが、演劇版では、そうした女性の系列よりは、柏木-鶴川、あるいは父-老師といった男同士の関係の方に重点を置いていたように思える。
それは必ずしも女性嫌悪ではないが、娼婦との肉体的接触などもたなくても、金閣に対峙することができると示しているかのようだ。

放火の当日に会った禅海和尚を、父を演じた高橋長英が二役で演じていたのもその現れで、金閣への溝口のこだわりは父によって育てられ、その父の半面である禅海に承認されることで溝口は自分の金閣放火が許されると判断する。
女性との関係がないわけではないが、どちらかといえば男同士の絆によって劇が展開していくのだ。
金閣を焼く場面で、書き割りの巨大な「目」が現れるのも、父によって目隠しされた呪縛が解かれるシンボルだろう。

ほかにも、小説にあった「南泉斬猫」の法話の代わりに、舞台では、臨済録示衆の章の「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し・・」を早い時期から唱えさせていた。放火の前に急にこの言葉を想起する小説版はかなり唐突な印象を受けるので、むしろ舞台の方がよりわかりやすくなってよかったと思う。

最後に金閣に火をつけた溝口は、「生きよう」と思う。これは小説「金閣寺」と同じだ。
強固な観念となって自分を縛る金閣を焼き、憑き物がおちたようになって溝口は現実に戻ってくる。
「生きよう」と、ナレーターの鶴川が言い、柏木が言い、そして溝口が言った後、溝口は客席に降りて最前列の座席に坐る。
溝口は決して特異な人物(モンスター)ではない、歳月は隔てても現代のわれわれと同じなのだ、われわれの一員なのだ、という鮮やかなメッセージを放って、舞台は閉じられる。


全体に、とてもよくできた芝居だった。
脚本も演出も役者も、すべてプロの仕事という感じ。
企画も出演者も商業演劇の最たるもので、よく練られてキッチリと仕上がった舞台だったが、しかしながらルーティンの一つとして手際よく造りましたよ感がなくて、熱意と愛情がこめられていた。

『金閣寺』の二次創作としては、小説発表直後の1957年に新橋演舞場で演劇が上演され、その後もオペラ化されたが、これらはもちろん私は未見。
映画には、「炎上」(1958年・大映、市川崑監督、市川雷蔵・仲代達矢ほか)と「金閣寺」(1976年・ATG、高林陽一監督、篠田三郎・柴敏夫ほか)があって、これは映像で何度か見た。

二つの映画については、以前に書いたことがあるが、二つとも小説版とはかなり改変されている。
「炎上」の方は小説が書かなかった放火後の溝口や母が描かれ、「金閣寺」では女性たちが過度にクローズアップされ、いずれも、小説「金閣寺」との差異化を目的として作られていたように思う。

二つの映画に比べると、宮本版「金閣寺」は、とてもオーソドックスだ。
オーソドックスだが、単に、原作のモチーフをすべて入れました、というのとは違っている。若い男性3人の物語として「金閣寺」をしっかりと解釈した上で、その理解に沿って自然に作り上げられていた。

一方で、映画「炎上」へのリスペクトも感じられた。最初のうち、森田は雷蔵に、高岡は仲代達矢に見えた。先行する作品のイメージは尊重している。
副司役の花王おさむの、「老師~」という言い方は、映画「炎上」そのまんま。映画のように副司の息子が登場して、溝口と老師の跡目争いでもするのか・・と思ったぐらい。(あとでパンフレットを見たら、花王は映画のイメージを参考にしたと話していて、納得)。

役者陣は、主演の森田はじめ、みな熱演。
神奈川の初日から1カ月近くたって、芝居自体が熟してきたのだろうね。
とくに森田は、出ずっぱり。頭も坊主に丸めて溝口になりきり、屈託がよく表現されていた。
ジャニーズという先入観で曇らされてはいけない、うまい役者だと思う。
(私の後ろの席のお姉さんたちは、「なんか切なそうな顔やヘタレな顔ばっかり。笑った剛君が見たい。。」とのたまっておられましたが・・・。)

高岡、大東、有為子の中越もよし!
高岡くんは、自分で尺八を吹いていたのね。あれは難しいのだ・・。
(令嬢役の三輪ひとみさん、どこかで拝見したお顔だと思ったけど、「ハリケンジャー」の御前さまだった! なつかしい~。)
ともかく今回の芝居では、ベテランのうまさばかり目立って若手がダメ、ってことがなかったのが嬉しいデス。


さて、宮本亜門と三島由紀夫。

没後20年の1990年に『近代能楽集』全作品を2作品ずつ上演する企画があった。
宮本は「卒塔婆小町」の演出予定だったが、直前になって主演の一人・堤真一とともに公演から下りた。
たしか、主演の李麗仙と宮本が作品解釈で衝突したのだった。
(同時上演はさきごろ亡くなった茂山千之丞さん演出の「葵上」で、出演は、沢村藤十郎・佐野史郎)。

私は当時住んでた名古屋での公演に行ったけど、いま売り出し中の宮本亜門による三島劇が見たかったなあと、とてもとても残念だったことを覚えている。
その後、堤真一の方はtptの『近代能楽集』で三島劇を演じるところを見ることができたが、宮本の三島劇には縁がなかった。

今回、新設なった劇場の芸術監督に就任し、こけら落とし公演に三島由紀夫の代表的な小説の翻案をもってきたのは、宮本なりの20年ぶりのケジメだったのかもしれない。

2010/06/30

「桃の実」の再演があります

Momonomi_2

モケレンベンベ・プロジェクト
「桃の実」広島公演

とき:2010年7月3日(土)+4日(日)
     各日2公演 11時+14時
     (乗車時間は1時間程度)
ところ:広島電鉄本社
     広電本社~横川駅~広電本社
乗車料:2,500円
     (高校生以下は1,500円)

問合せ・予約先:
  オフィス クエスト・みつふじ
  090-8602-4460
  QUEST/MITSU★n.vodafone.ne.jp
       (★は @ に代えてください)
公式ページ:モケレンベンベ・プロジェクト

●3年前の公演レビューは こちら
●朝日新聞の紹介記事は こちら
●原作『チンチン電車と女学生』の原作者・小笠原信之さんの東京公演レビューは こちら

広島市内を今も走る広電の被爆電車を貸し切って行われる、女性車掌の原爆劇。
モケレンベンベの「桃の実」が再演されます。

昨日の授業でも紹介したのですが、原爆を扱った劇としても、上演のあり方としても、とても良質だと思います。
再演といっても、前回とは少し変えているとのこと。
4日(日)の14時の回は定員に達していますが、それ以外の回はまだ席に余裕があるそうです。
この週末、ぜひご乗車ください!

2010/06/29

こっそり更新・・

先週末、出張したときの夜のお楽しみの記録。

Shikagoroshi

●劇団鹿殺し「電車は血で走る」

・2010年6月18日~7月4日
・東京芸術劇場小ホール

劇団鹿殺しは初見。いま売り出し中、ということしか知らない。
(授業で触れると、コメントシートに、「鹿殺しは昨年大阪で見ました」と書いた学生が。やはり若い人たちは見ているのね)。
「10周年記念ロングラン公演」とのこと。
劇中歌あり、ダンスありで、現実(現在)と幻想(過去)の世界が交差。
つかこうへいや新感線、あるいは「銀河鉄道の夜」などの既視感あるイメージが織りまぜられつつ、演劇づくりへの夢が演じられる。意外にも抒情的な舞台だった。

Caracter_2

NODA・MAP「ザ・キャラクター」

・2010年6月20日~8月8日
・東京芸術劇場中ホール

前半は、書道の筆文字の扱い方も面白く、遊眠社時代を彷彿とさせる言葉遊びと明るさ。
書道教室とギリシャ神話が交差する舞台の世界に、後半に向かうにしたがって、過去のあの事件が浮かび上がっていく・・。
やはり遊眠社時代とは決定的に異なり、現代社会に生きる人間の暗部が正面から追求される。
宮沢りえが圧倒的な存在感。太い声で安定感があり、かつ、悲痛な感情が伝わってきた。

Athomeatthezoo_2

「アット・ホーム・アット・ザ・ズー」 

・2010年6月17日~7月19日
・シアタートラム

エドワード・オルビー作、千葉哲也演出。
「第一幕 ホームライフ」は堤真一と小泉今日子、「第二幕 動物園物語」は堤と大森南朋の二人芝居。
全く切れているかに見える二つの物語が、同じモチーフを示しているとわかるにつれ、戦慄が走った。性と暴力、狂気。受け手に見えていた堤真一の優柔なキャラクターのあり方をつく物語だったのだ。
小泉今日子の、性的で狂的なセリフもサラリとこなす自然体な演技がよい。


			

2010/06/20

「Three Men in a Boat +ワン」ほか

504156

梅雨入りしたものの、降ったり、カンカン照りの日が続いたり、の今日この頃。
教育実習訪問やら、金曜日の4週連続のオムニバス授業が終ってホッとしたのもつかのま、7月中旬~下旬にかけて、色々と提出物の〆切が重なっていて、まだ全然手つかずなだけに、心に余裕がない。
・・と言いつつ、先週は久々に芝居に行きました。

スタジオ・ライフの「Three Men in a Boat +ワン
(6月15日(火)18時-、於・広島市東区民文化センタースタジオ)。

3人のイギリス青年紳士と1匹の犬の、ユーモラスなテムズ川遊覧の舟旅。
観客参加型の舞台で、とっても楽しめました。今年見た芝居の中では一番かな。
スタジオの真ん中が舞台で、観客は周辺に置かれたパイプ椅子で観劇するのだけど、舟が移動するたびに、観客もパイプ椅子をもって移動。
配られたパケツなどで音を出したり、指名されると舞台に上って水門の役をしたり、けっこう忙しい。(体力・気力がないと参加が難しいかも・・)。

うちのダンナも舞台に上がり、レストランのウエイトレスの役で、エプロンとヘアセットつけて、笑わせてくれました。
(後で、セリフがあった観客は自分だけだと威張ってました)。

とにかく、アステールプラザをいっぱいにできる劇団が、わずか40人ほどの観客の前で、演じてくれるのだから、贅沢このうえなし。
「トーマの心臓」「Lilies」「OZ」「ドラキュラ」といった耽美系の本公演もよいけど、こんなふうにウエルメイドで手作り感のある芝居も嬉しい。

それにしても、役者にとっては、ここまで客の間近で演じるとなるとゴマカシもきかないし、客との掛け合いで人間性も出ちゃうし、どれだけ観客をのせられるか、キツイだろうな。。

原作は、ジェローム・K・ジェロームの「ボートの三人男」。
・・・といえば、漱石の『猫』の典拠の一つとしても知られていますね。

4122053013 ボートの三人男 (中公文庫)
ジェローム・K. ジェローム 丸谷 才一
中央公論新社  2010-03


by G-Tools

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18日(金)は、ヨーロッパ企画の「ショートショートムービーフェスティバル傑作選+トークショー」に行ってきました。
(於・横川シネマ!

1本5分未満の、まさにショートショートムービーが10本。
監督は、劇団・ヨーロッパ企画の役者たち。間に役者によるトーク。
計算されたものや、破天荒なものなど色々あったけど、さすがに感性豊かな人たちが役者になるのね・・と感心させられました。
司会の男性3人の得点で順位がつけられていたためか、私の感覚とは違っていたけど、それはまあご愛嬌かな。

今回の企画は、夏の芝居「サーフィンUSB」のキャンペーンのため。トークの間は写真OKで、みなさん、カメラや携帯でパシャパシャと撮影。
(私は持参しておらず、娘に「ママは肝心のときに携帯を持って来ていない」とバカにされました。まったく不携帯電話でございまする。。まあ、あれは、出張時用ということで・・)。

2月の「曲がれ! スプーン」が気持ちのよい芝居だったので、新作も期待できそうです。
広島公演は、8月31日(火)19時、アステールプラザにて。

2010/02/04

もう一つ、予定

★ゲキコン:岸田國士「紙風船」

・とき:2010年2月18日(木)・19日(金)19時-
・ところ:広島市南区民文化センター スタジオ
・前売り:1500円、当日:1800円
・東京作品:清水大方、細越みちこ
広島作品:古原史麗、油野昌子
・広島作品・翻案:なかいくみ、演出:中井敏哉

Kamifusen_2

大正期の原作のまま東京組が、現代に翻案して広島組が、・・と2パターンで上演するらしい。楽しみ。
(木曜日は会議で無理なので、金曜日に行きます。ただ、この日の午後は、卒論の口頭試問があるのですよ。。気持ちよく観劇できるとよいな。)

「紙風船」は、岸田國士のなかでも、かなり好きな作品。
授業でもぜひやりたいのだけど、文庫で出ていないので取り上げるのが難しく、残念。
三島とか安部公房のように、文庫で戯曲が出されている作家は珍しいのだ。

2009/09/19

茂山狂言会

シルバーウィーク初日。やはり9月には、この方々の舞台を拝見しないと落ち着きません。
恒例の茂山狂言です。
娘が土曜日も学校があるので、夜の部に行きました。

広島茂山狂言会鑑賞会 夜の部
時:2009年 9月19日(土) 18:30
所:広島アステールプラザ中ホール能舞台

解説:丸石やすし
二人大名:茂山あきら、松本薫、茂山千三郎、(丸石やすし)
独吟「京童」: 茂山千作
抜殻:茂山千五郎、茂山千之丞、(鈴木実)
茶壺:茂山宗彦、茂山茂、茂山正邦、(鈴木実)

千三郎さんを拝見するのは3年ぶりぐらい。
相変わらずのよいお声でした。次は、解説にも復帰してくださいませ。

千作さん、今回は、狂言ではなく、独吟でした。
もう卆寿で足腰がだいぶ弱っておられますが、発声されるや、さすがの貫祿。
目に、耳に、焼き付けたいと思いました。

千之丞さんの品のよい、おっとりとした感じは、天性のもの。
千五郎さんの酒呑み芝居、年季が入っていました。
我々が会場のアステールプラザに着いたのは昼の部が終わってしばらくの時間で、ちょうど正面玄関から千五郎さんが出て行かれるところでした。お散歩でしょうか。ジャケットに素敵なシャツ姿でしたが、全くふつうの方にしか見えず、昼の部の帰りらしき奥様方も、目の前を通りすぎる茂山家当主に全く気づいておられない様子。
舞台の上では至芸。でも、日常では普通で気さくな感じが茂山家の方々の持ち味なのでしょう。

最後は、若手の競演。やはり勢いがあって、一番笑えました。
茂さんが、一つ前の演目の千五郎さんの太郎冠者と全く同じ酒呑みのセリフを繰り返したあげく、「これでは、おやじと同じだ」というのですが、役の上と、役者とが重なって、大笑い。(狂言には酒の失敗話が本当に多いなあ)。
宗彦さん、正邦さんも、それぞれの持ち味が生きていました。

皆様の笑顔を拝見し、お腹から何度も笑い、お豆腐狂言カレンダーにサインもしていただいて、これで福々と来年が迎えられまする。(気が早い・・)。

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CD

  • 曽根麻矢子 -

    曽根麻矢子: バッハ:ゴルトベルク変奏曲
    最近のお気に入りは、曽根麻矢子さん。「イギリス組曲」や「イタリア協奏曲」も素敵ですが、やはりこの1枚がおすすめ。丁寧な演奏と美しい音質にとても好感がもてます。

  • ヨーヨー・マ -

    ヨーヨー・マ: ヨーヨー・マ ベスト・コレクション
    「リベルタンゴ」やバッハの無伴奏も入っているので、ヨーヨー・マで一枚だけ、となると、やっぱりこれかな。。それぞれのアルバムで聴きたいところですけどね。

  • Yo-Yo Ma with The Amsterdam Baroque Orchestra & Ton Koopman -

    Yo-Yo Ma with The Amsterdam Baroque Orchestra & Ton Koopman: Vivaldi's Cello
    知性と穏やかさの感じられるヨーヨー・マの演奏。これは、よく聴くアルバム・ベスト3の一つです。

  • 春風亭小朝 -

    春風亭小朝: 小朝の夢高座Op.1「牡丹燈籠 ― 御札はがし」
    うまい! 何でこんなにうまいんだろう。落語家につける形容詞じゃないけど、スキのないうまさを堪能できる。もっとCDを出してくれることを切望。

  • のだめオーケストラLIVE!
    のだめオーケストラ・東京都交響楽:

    「のだめオーケストラ」LIVE!

    娘がピアノの練習を嫌がらずやるようになった、ありがたーいCD。2-2の2小節で間違えるバージョンがことのほかお気に入りの様子。クラッシックの入門編として。
  • Best of Bowie(US)
    David Bowie:

    Best of Bowie (Bonus CD)

    とりあえずデヴィッド・ボウイを聴きたい方へ。変遷を手際よくたどるのに好適!
  • Labyrinth
    Original Soundtrack:David Bowie:

    Labyrinth: From The Original Soundtrack Of The Jim Henson Film

    映画「ラビリンス」のサウンドトラック版。音楽的にもなかなかよい。バブバブ言っているのがボウイだと想像すると微笑ましい。
  • バッハ:ブランデンブルグ交響曲5番
    トレバー・ピノック/イングリッシュ・コンサート:

    Bach: Brandenburg Concertos Nos. 4-6; Triple Concerto BWV 1044

    硬質なカシャカシャとした音が、バロックにとても合っていて、気分が落ち着きまする。
  • Karajan Spectacular
    カラヤン:

    Karajan Spectacular

    そうは言っても、「ワルキューレの騎行」は、クナよりもカラヤンをとりたい。
  • ワーグナー:名演集
    クナッパーツブッシュ/ウィーン・フィル:

    ワーグナー:名演集

    「すばらしい」の一言。夾雑物が何もなく、ワーグナーの音自体が見事に立ち上がってくる。