『神戸女学院 学報』166
明けましておめでとうございます!
昨年は、このブログ、ほとんど更新できませんでしたが、今年は、もう少し気軽に書きたいなと思っております。
皆さまのご健康とご多幸をお祈りいたしますとともに、本年も、どうぞよろしくお願い申しあげます。
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
さて、今日、日本近代文学がご専門で、神戸女学院大学教員の飯田祐子さんが、ご自身のお書きになった「『蒲団』の岡田美知代と『或る女』の佐々城信子-神戸女学院での出会い-」が掲載された『神戸女学院 学報』166(2012.12.11)を送ってくださいました。
国木田独歩の最初の妻で、有島武郎『或る女』の葉子のモデルの佐々城信子が、わずか3カ月の短い期間ではあるものの、神戸女学院に在籍していたことのご報告と、それがわかったときの驚きが書かれたものです。
飯田さんは、実に文章がうまい!
拝読しながら、昨年のちょうど今頃の時期に、「記録がありました!」と飯田さんがメールをくださったときのことを、まざまざと思い出しました。
そのころ私は岡田(永代)美知代の生前未発表原稿「国木田独歩のおのぶさん」を翻字中でした。そのなかに、神戸女学院に入学したばかりの美知代が、同じく神戸女学院に在籍していた年長の信子を憧れ見ていたことが書かれていたのです。
美知代の晩年の作品で、信子をめぐるあまりにも荒唐無稽な内容も含まれた記述に半信半疑ながら、それでももしかしたら本当かもしれないと、飯田さんにメールでお尋ねしたところ、飯田さんが同学の史料室に調査を依頼してくださいました。
そして、数日とたたないうちに、飯田さんから、ビックリマーク付きのメールが届きました。
当時の在学生名簿の明治31年9月入学生の欄、「岡田ミチヨ」の2行後に「佐々城信」の名前が記載されていたというのです。
『蒲団』の岡田美知代と『或る女』の佐々城信子。
日本近代文学史上画期をなす作品のモデルとされたことで数奇な人生を歩まざるをえなかった二人の〈新しい女〉が、同時期に神戸女学院に在籍し邂逅していたなんて!
・・・これまで知られていなかった事実に、飯田さんと二人、おおいに興奮したのでした。
その名簿のコピーは送っていただきましたが、私も自分の目で確認したくて、また他にも知りたいこともたくさんあり、すぐに相互閲覧の手続きをとって、神戸女学院の美しいキャンパスを初めて訪問しました。
昭和初期に現在の岡田山に移転したため、美知代と信子が通っていた神戸市内のキャンパスではありませんでしたが、それでも十分に学校の雰囲気はわかりました。史料室や図書館の方々には懇切に便宜をはかっていただき、飯田さんも、忙しい授業のあいまを縫って、図書館まで会いに来てくださいました。
こうして神戸女学院でいただいた資料も使って翻刻した永代美知代「国木田独歩のおのぶさん」はpdfで読んでいただけます。→●
『神戸女学院学報』のページ→●
(飯田さんの文章が掲載された最新号はまだ出ていませんが、もうすぐ公開されるのではないでしょうか。)
美知代と信子が神戸女学院に在籍していた時からもう百年以上経ってはいますが、同窓生にも送られる学報に飯田さんの記事が掲載されたことで、また何か新しいことがわかるとよいな、と、わくわくしながら願っています。
最近のコメント