「オペラ班女」
HIROSHIMA HAPPY NEW EAR OPERA Ⅰ
(広島の新しい耳)
「オペラ班女」
・台本・作曲・音楽監督/細川俊夫
・原作/三島由紀夫「班女」
・英訳/ドナルド・キーン
・演出/平田オリザ
・指揮/川瀬賢太郎
・演奏/広島交響楽団
・出演/半田美和子(花子)・藤井美雪(実子)・小島克正(吉雄)
・2012年1月20日(金)19時/1月22日(日)15時
・アステールプラザ中ホール能舞台
・上演時間 1時間40分
・公式ページ
見てきました。「オペラ班女」。
2004年にフランスで初演、BSで少し紹介されて、ぜひ見たいと思っていました。それが広島で上演されるなんて!!
広島男子駅伝のゴールの時間帯でごったがえす平和公園前を通って、いざアステールへ!
全6場。
もともとエクサン・プロバンスの依頼で制作されたということもあって、歌は英語。
今回はセリフの部分は日本語でした。
能舞台の左手・脇正面の部分がオーケストラ・ピット。
舞台は正面鏡板の前に屏風。花子が部屋で休む場で、この屏風に隠れます。
屏風の前にロッキング・チェアが一つ。床には、裂かれた新聞紙が敷きつめられてますが、きわめてシンプルな作り。
キャストは洋服を着て、能舞台なのであしもとは足袋。
現代音楽独特の不思議な音色にあわせて、芝居が進んでいきます。
音楽は決して全面に出ず、背景という感じ。
実子の不安から、喜びへの変化。
花子の「狂気の宝石」の美。
吉雄の最初の勝ち誇った様子から、逃げ出していく様への変化。
オペラはあまり見ることはありませんが、とても演劇的な作りだと思いました。
とくに、吉雄が帰ったあとの花子の微笑みは、もしかして狂気のふりをしているだけ?と感じさせられたほど。
現実の吉雄を拒否すれば、ずっと待ち続けていられるのですから。
また「待つ」ことをつづけさせてくれる実子のもとにいられるのですから。
プレトークで細川さんは、平田オリザさんを演出に迎えて、演劇としてのオペラの可能性を追求したかったと話しておられました。
また自分の狙いは、種々のぶつかりあいであると。
・人間同士の、愛・嫉妬などのぶつかりあい。
・現実の響きと夢幻世界のぶつかりあい。
・セリフの日本語と歌の英語という、言語のぶつかりあい
・能舞台という日本と、西洋の楽器によってかなでられる音楽のぶつかりあい
アフタートークで、オペラ初演出の平田さんは、演劇のワークショップを行なって、キャストばかりか指揮の川瀬さんもずっと参加してセリフも練習されたといった挿話を披露。
そして、現代音楽については、単純な感情移入を妨げ、気持ちよくなる寸前に不協和音が入って、いわゆる「異化」効果があると話していました。
また、ディベートの部分が長いのが三島作品の特色であるとも。
私自身は、「近代能楽集」の自由度の高さが印象に残りました。
「サド侯爵夫人」や「鹿鳴館」はある程度、上演の形が決まってしまいます。それに対して、「近代能楽集」は、美輪さんのようなゴージャスの舞台も、蜷川流の解釈も、三条会のような実験的な演出も、そして今回のオペラ版でも、どのような味付けを行なっても見ることができる、変幻自在な作品だと思います。
英語の歌も、背景の現代音楽も、全く邪魔せず、作品自体を深めていく。
また、セリフが日本語、歌は英語、という2言語の切り換えも、思ったより違和感なく聞けました。
アフタートークで細川さんは、最初から歌とセリフを分けて作ったわけではなく、キーンさんの英語の台本をみながら作曲していき、うまく音楽にしずらい箇所をセリフに回し、あるいは音楽的な流れと会話とのメリハリを考えながら作っていったと話しておられました。
もともと三島の芝居そのものが詩劇なのですから、セリフと歌の区別はないとも言えます。
今回は広島のみの公演だけど、決して地方向けとは思っていない、国際的なものを目指しているのだ、とのお話でしたが、三島演劇の可能性を広げる貴重な試みだと思います。
再演を期待します。
その点でも、客席が埋まっていて嬉しく思いました。
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