岡田美知代の跡を訪ねて
もう何年も前に、院生や田山花袋研究を志す中国の研究生と一緒に上下歴史文化資料館を訪ねた記事を載せました。
資料館は、岡田美知代の生家を改築していたもので、岡田美知代とは、田山花袋「蒲団」の女弟子・横山芳子のモデルです。
その後、縁あって、私自身が岡田(永代)美知代研究に取り組むようになり、何度か上下町の資料館にもおじゃまするようになりました。
美知代は、彼女自身も多くの小説や少女小説を書いていますが、「蒲団」の影に隠れて、今日ではほとんど知られていません。
が、少しずつ、等身大の岡田(永代)美知代を読み、研究する機運が高まってきたように思えます。
昨年初めに刊行された『新編日本女性文学全集』第3巻には、美知代の「ある女の手紙」と「一銭銅貨」の2作品が収録されました。朗報です。
新編 日本女性文学全集〈第3巻〉 岩淵 宏子 長谷川 啓 菁柿堂 2011-02 |
ただ、まだ享受や研究の基礎となる著作リストも未整備ですし、年譜にも不明な箇所が多くあります。
私は一昨年から美知代の著作リストを作りはじめ、昨夏は本格的に、大学院生にも手伝ってもらって各地の図書館で雑誌調査をしました。結果は以下の通り。
・著書(単著):5冊(うち2冊が翻訳)
・著書(共著):1冊
・雑誌・新聞所収作品:205作品
・未発表原稿:10作品
これまで知られているより、かなり多くの作品を書いています。
今後の調査によってまだ作品数は増えるでしょうけど、とりあえずの中間報告としてこのたびの紀要に著作リストを載せました。
いまは、美知代が戦後に書いた未発表の原稿の翻字をしています。
もうすぐ〆切で、なぜ冬休みのうちに完成させておかない?! ……といういつもながらの反省はともかく、その原稿執筆のため、先々週末は上下町に、先週半ばには美知代の母校・神戸女学院を訪問させていただきました。
資料館からの帰り、上下高校へ。
正門付近に美知代の父・胖十郎の大きな銅像が建っています。
すみません。
逆光でシルエットしかわかりませんね。
手前に立っているのは、くっついてきた娘です。銅像の大きさがわかるでしょうか?
胖十郎は備後銀行頭取で、のちに町長にもなった人物です。
そして、要するに、「蒲団」で芳子を迎えにきた父親ですね。
銅像の前には、明治39年10月に、花袋が上下を訪ねた記念碑も置かれています。
饗応してくれた岡田家宛の花袋の礼状が刻まれています。
でも、この1年後に「蒲団」が掲載されて、岡田家に激震が走るわけですね~。
さて、神戸女学院に行った日は、あいにくの曇。午後からは雨で、残念ながらあまり写真が撮れませんでした。
曇天でも美しい!
神戸女学院のキャンパスは、昭和8年に、神戸市内の山本通りから現在の西宮市岡田山に移転されたので、美知代の時代の校舎や寄宿舎そのものではありませんが、雰囲気は伝わってきます。
私は学部と最初に勤めた大学がキリスト教系女子大だったので、この雰囲気には馴染みがあり、とても落ち着きます。
屋根ばかりか壁もある渡り廊下で建物同士がつながっていて、機能的で美しい。
神戸女学院には史料室があり、学校について種々の問い合わせに答えてくださいます。
また図書館の方々にもたいへん丁寧に対応していただきました。
そして、もちろんI様にもお世話になりました。ありがとうございます。
まだ資料の一部を拝見しただけだったので、また訪問させていただけることを願っています。
これまで取り組んできた三島由紀夫に加え、岡田(永代)美知代という新しい研究対象を得て、少しずつ臥薪嘗胆時期から脱することのできそうな年初です。
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