母のこと
6月16日(木)、18時55分、母が亡くなりました。
77歳でした。
一人で検査結果を聞きに行った本人が、「早期ではない膵臓癌」だと告知されたのが3月11日。
ちょうど震災の日。
夜、母からの電話で聞かされ、驚愕しました。
病名はもちろんのこと、本人に普通に告知することにも。
入院後の精密検査のあとの本人と家族への説明では、肺と腹膜に転移しており、ステージ4b。
手術はできず、化学療法(抗ガン剤)と緩和ケアを組み合わせる。
平均余命は、無治療で半年、抗ガン剤治療をして7~8カ月とのこと。
告知を受けてすぐは「せめて、あと5年は生きたい」と話していた母が、この説明のあとは「年を越したい」と言い出し、でも、実際には、3カ月で逝ってしまいました。
抗ガン剤治療が効かなかったと引導をわたされ(このことは、父の希望により、本人には伏せていました)、緩和ケア(いわゆる「ホスピス」)のために転院して10日目でした。
6月17日に通夜、翌18日に葬儀を、いずれもごく身内だけでとりおこないました。
いまは木曜まで忌引をいただいて、諸手続きや実家の片付けなどをしています。
まだまだしなくてはならないことが多くて、全く実感がわきません。
亡くなったなんて、嘘みたいです。
でも、もう病院には通わなくてよくて、実家に行っても母の姿はありません。遺影と骨箱と位牌に変わってしまいました。
母の病気がわかり、治療法などを調べるとともに、いったいどのようなことになるのか、本やネット上で、同病の方々の闘病記や看病記を読みあさりました。
読むにつれ、1年後生存率がほぼゼロだという実態がわかって辛さがつのりましたが、ある種の覚悟のようなものができ、たいへんありがたく思いました。
もし闘病記を読まないまま母と接していたら、おそらくたいへんなパニックになっていたことでしょう。自らや大切な人の命とひきかえに記録や感情を書き残してくださった方々に、深く感謝しています。
二つの病院のお世話になりましたが、医療のあり方にも考えることがありましたし、一時利用させてもらった介護保険についても知らなかったことばかりでした。
死去後、喪主の父の間近で慌ただしく葬儀の準備をしていくなかでも、感じたことがあります。
まだ全く余裕がありませんが、今後少しずつでも、そうしたことを思い出しながら書いていければと思っています。
もしかしたら、情報を求めて闘病記・看病記を読む方への参考になるかもしれませんし。
母が亡くなったことは今でも信じられません。
でも、この3カ月、何もわからない中で、懸命に調べたり動いたりして、できるだけのことはしてきたと思っています。
退院して自宅療養していた期間には、介護保険を申請して介護ベッドを利用するようにしたり、入院中は、授業がない日は年休をとって病院につめ、学校のあとも夜、できるだけ病院に寄るようにしました。
一時退院時に、我が家に遊びに来てもらうことができたのも、本当によかったと思っています。
悔いが残るとすれば、2年ぐらい前からお腹が痛いと話していた母に、しっかりと検査を受けるように言わなかったことでしょうか。母自身がいくつもの病院に行っていたので、大丈夫だと思っていたのです。複数の内科・婦人科に行ったのにハッキリとした病名がわからず、神経科まで勧められていました。
でも、発見のきわめて難しい病気ですから、あきらめるしかありません。
写真は、9年前の母と娘です。
入院中の母をなぐさめるために、一緒に正月や花見を過ごしたり、旅行した写真を持って行きましたが、写真を整理していると、娘と一緒に、ブランコや縄跳び・すべり台をしたり、雪ダルマを作るなど、やたらお茶目な姿が出てきます。
そもそも、娘は小学校の入学式にも母(おばあちゃん)に付き添ってもらいました。(母親の私は新入生のオリエンテーション旅行で不在だったのです。)
保育園時代も小学校でも、熱が出たら預かってもらい、行事にも来てもらい、母に育ててもらったようなものでした。
・・・といった話を始めると長くなりますね。
明日も実家で、父と妹とともに、諸手続きの説明を聞いたり、片付けをします。
そして、実家に一人で過ごす父のこれからの暮らしをどうするのか。
母の亡くなったあと、父の数珠のありかがどうしてもわかりませんでした。棺の中の母にも愛用の数珠を持たせたかったのですが、それも見つかりません。実家で、この一角にあるだろうという箇所を父と妹と何度か探したのですが。
生活のすべてを母が仕切っていた父でした。
母の入院中、父はかなり家事が上手になってきました。でも、高齢ですし、母の死の精神的なダメージもありますし。
できるだけ父に会う時間をとり、食をはじめ、生活を見守りたいですが、仕事に復帰したあとどうするとよいのか。これから長い期間の大きな課題となりそうです。
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コメント
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拝読させていただきました。
どいう言葉が適切かわかりせんが、寂しくなられましたね。
お父さまのことのご心配もよくわかります。
お母さまの写真を見せていただいて、ありがとうございました。
御目文字できる機会があれば、またいろいろお喋りさせてくださいませ。
のぶこさまも、ご自愛を願います。
投稿: リリミキ | 2011/06/21 16:40
リリミキさま、丁寧なお悔やみのお言葉を頂戴し、心よりお礼申し上げます。
今回のことで、いまさらですが、宗教の意味がおぼろげにわかってきた感じがします。
お経をあげてもらい、本当にありがたいと思いました。
父もいまは片づけなどで気がまぎれていますが、これからもう少ししたら寂しさがつのってきそうです。
また、ぜひお話させてくださいませ。
投稿: NAGI | 2011/06/21 19:09
心よりお悔やみ申し上げます。
うまく言えませんが…、
この日記を読んでよかった、と思います。
お会いすることはありませんでしたが、NAGIさんのお母様という人を少し、知ることができました。
私も母を連れて検診に行こうと思います。
投稿: ゆうこ | 2011/07/05 16:03
ゆうこさん、丁重なお悔やみの言葉をいただき、どうもありがとうございます。
なんだか、あっという間でした。あっけないくらい。
病気がわかってからのことは後悔はないのですが、やはりそれまでに何とかできなかったか・・という思いはあります。
ぜひぜひ、親御さんと一緒に検診に行ってくださいね。
投稿: NAGI | 2011/07/05 18:58