現代能楽集Ⅳ「THE DIVER」
『The Diver(ザ・ダイバー)』
※英語上演(日本語字幕付)
・2008年09月26日~年10月13日
・シアタートラム
・作・演出:野田秀樹 共同脚本:コリン・ティーバン
・囃子:田中傳左衛門 笛:福原友裕
・出演:野田秀樹、キャサリン・ハンター、グリン・プリチャード、ハリー・ゴストロウ
⇒公式
⇒ロンドン公演
もうずいぶん前なので、「観た」という記録だけ。
キャサリン・ハンターの身体がまるで器であるかのように、源氏物語の女たちが次々に憑衣していく様を目撃した驚き。
もう観劇から1カ月以上になり、日々の生活に追われていても、まだその印象は消えない。
深い水の底を潜っていくように、次々と人の心の深層が、俳優の身体に映しだされていく。
シンプルな舞台の上で、布一枚をひらめかせることで、現代の犯罪者と、夕顔や六条御息所などの源氏の女たちが重ね合わさっていく。
「THE BEE」も(WOWOWでしか観ていない)暴力の連鎖を描いて衝撃的だったが、それ以上に「THE DIVER」の方に揺すぶられた。
能の「海人」や「葵上」が原拠。だが、三島由紀夫の『近代能楽集』の「葵上」が、能の「葵上」とともに、さらに原点の「源氏物語」をも翻案しているように、 「THE DIVER」でも、車争いの挿話が使われるなど、源氏物語自体が大きく入り込んでいる。
公演パンフレットで、野田は、「甘やかす女」と「甘やかされる男」の物語から、「「ニッポン男児」などとイイ気になっている」現代のなんともイヤな男と、「現代の一人の女性が犯した大罪」の物語が生れてきたと書く。野田のみる、昔と今のニッポンのジェンダー模様だろう。
源氏千年紀なんて浅薄な催事とは関係のないところで、より本質的に源氏と現在とが切り結んでいく。
野田秀樹の英語も、何の違和感もない。
20年近く前、野田がアフリカを取材するテレビ番組で、英語で話す子どもたちに自分の英語が通じず、「東大に入ったオレが何で話せないんだ・・」とボヤいていたのに。
ロンドン留学以降の、たゆまぬ努力の結実。
若手の自閉した・あるいは暴力的なだけの芝居には感じられない、劇的世界。
バブル期の遊眠社のころの野田秀樹の世界に、ノスタルジーにも似た愛着を私は抱いている。それは私自身の青春期でもあったから。
しかし、野田が、時代とともに確実に進化して自らの演劇を構築し、フロントランナーでありつづけていることに、身がふるえ、励まされもするのだ。
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