平和を祈る集い
今朝は、娘が通っている小学校の「平和を祈る集い」に行って来た。
広島市の小中学校は、昨年度から8月6日を登校日にするようになり、学校からのプリントで保護者の参加が呼びかけられたこと、そして、娘にも来てほしいと言われたため。娘が入っている音楽クラブが、今日の集いで生徒たちが歌う合唱の伴奏を担当したのだ。6月に昼休みにも練習をして、この日のための伴奏を録音しており(娘はグロッケン=鉄琴)、親に聞いてほしかったようだ。
行ってみると、ほとんど生徒の欠席はなかったようす。
保護者や地域のお年寄りも、50人ぐらい参加していた。私の後ろに坐っていたのは、子どもの通学を見守るボランティアのお年寄りたちで、今朝、平和公園で祈って戻ってきたところだと話しておられた。
今日は、子どもたちは7時45分~8時の間に登校。体育館のスクリーンには、平和祈念式典の中継が流されている。
8時10分ごろから開始。今日の集いの趣旨が説明され、テレビ中継の合図によって、8時15分に全員で黙祷。市長の平和宣言と子ども代表の誓いの言葉まで、式典の中継を見る。
それから校長のお話。
-小学校(当時、国民学校)の建物は、原爆投下でガラス窓はこなごなになったものの残っていたのだが、近所の出火が移り、夜に入って燃えてしまったこと。
-ほとんどの小学生は疎開していたのだが、家庭の事情で残っていて小学校で被爆した当時小6のお年寄りが先日訪ねてこられ、被爆当時のことを話していかれたこと。その話の紹介。
-6年生の各クラスが作った、平和の誓いのことばの紹介。
そして、6月半ばからずっと歌ってきたという、山本さとしさんの「ヒロシマの有る国で」の合唱。
最後に、「今日はお家の人と原爆や戦争・平和の話をしましょう」という言葉で、解散。
全部で1時間弱の集いだった。
集いの間、低学年も含めて意外にぐずっている子は少なかった。これで記憶の風化が防げるのか、体験が継承されていくのかはわからない。(娘に集いの感想を聞いてみたが、佐々木禎子さんのことの他は、式典で誓いのことばを読んだ小学生の話し方についての印象を言っていたくらい)。けれど、毎年8月6日に登校したことは子どもたちの身体に蓄積していくだろう。
体育館に学年ごとに固まって坐っている子どもたちを見ていて、私たちの頃は8.6の登校はなかったけれど、やはり体育館に集められて原爆の記録フィルムなどを観た小学生時代の記憶がよみがえってきた。
市長の平和宣言は、「日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべき」というあたり、昨年よりは踏み込んでいたと思う。
首相挨拶はニュースで一部を。コイズミのように棒読みではなかったけど、アベが憲法順守・非核三原則堅持なんて思っていないのは周知なわけで、選挙に負けてしおらしくしているだけ、白々しいことこのうえない。
夜は、昨夜の大田洋子の番組録画を家族で見る。
昨夜の放送時間には、娘とダンナは寝ており、私もイヤホンでこそこそ視聴していたので、再度。
娘は、中沢啓治さんの登場に、「この人がはだしのゲンを書いたん?!」といたく感動したようだった。記憶の継承に、表現は大きな力を果たしている。
また、娘はふろからあがって、寝る前に泣いていた。見たもの・聞いたものの何かを思い出したのかもしれない。
コメント
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8月6日に私の地元の小学校では被爆ピアノの演奏があったそうです。私は平和学習の一環で日本銀行で聞きましたが凄く良かったです^^
投稿: なぎさ | 2007/08/07 08:30
8月6日の集会は、各学校で取り組みが違うのですね。娘の小学校でも、校長先生が、小6のときに被爆された方に、「ぜひ体験を生徒たちの前でお話ください」とお願いされたらしいのですが、大勢の人の前で話すのはつらい、と断られたとのことで、校長が代りにその方の体験を生徒たちに話していました。
被爆ピアノ、聞いてみたいです。メンテナンスも大変でしょうが、貴重な証人ですね。
投稿: NAGI | 2007/08/07 23:00