初盆
母方の祖母と父方の伯父の初盆の法要のため、実家の両親と娘と一緒に、岡山県北に行って来ました。
(→写真は、伯母の家にある樹齢300年のヒノキ。トトロが出てきそう・・)。
社会人になってからは、慶弔でないと帰ることもなくなってしまったけれど、小中学生のころには、私と妹は、夏休みになると1カ月ぐらい、父方と母方の実家に交代で預けられていました。それだけに、久々に行ったふるさとの変わらない部分と変貌とに感慨もありました。
母の実家は、もと作東町、いまは美作(みまさか)市に。
亡くなった祖母の曾孫は21人。娘は、たくさんの又従兄弟たちと、まるで保母さんのようになって遊んでいました。祖母も、たくさんの孫や曾孫が来てくれて、喜んだことでしょう。
従兄弟の中では、私と妹が広島、もう一人が京都にいるほかは、みんな同じ町に住んでいます。従弟は亡くなった叔父の会社を継ぎ、公共事業も減って苦労も多いようだけど、ほかの親族とともにがんばっている様子。
父の実家は、那岐山のふところに抱かれた奈義町。
施設に入った伯母を見舞ったあと、別の伯母の家へ。(→写真は、右から祖母、祖父、曾祖父)。
亡くなった伯父の家でも、伯母さん一人になり、集落のほとんどが老人一人か二人の家になってしまったようです。
初盆の法要も高齢者ばかりで、大人のなかでは私が最も年下。10歳の娘の若さ(幼さ)が場をなごませていました。伯父さんも見てくださったでしょうか。
久々に会った従兄弟はもう定年を迎えており、我が身のトシも感じさせられました。
さて、娘はといえば、たくさんの親戚といっぺんに会うのは、祖母の米寿のお祝いの時以来(保育園時代で、ほとんど記憶にないらしい)。とても楽しみにしていました。
また、我が家には仏壇がないので、提灯や仏壇や、お盆の法要じたいが珍しく、興味津々でした。とくに、住職に合わせて読経するのが珍しかったようで、お経を一冊もらっていけばよかった、などと話していました。
母方は浄土真宗で、父方は曹洞宗。宗派の違いがそこかしこに表れていて、それも興趣を誘ったようです。
母の実家に一泊、法事のあと美作三湯の一つ湯郷温泉に泊まってから、帰広。
帰ってみると、私もお世話になっているI先生のお母様が亡くなられたとのこと。
亡くなったのは、学会講演をされる日の朝で、I先生は午後からいつもと変わらない様子で聴衆をときに笑わせながら、立派に講演をこなされそうです。
役者の世界などでは、舞台のために親の死に目に会えないとか、親が亡くなっても舞台に立ったとかいった話は聞いたことがありますが、教員・学者には無縁の世界だと思っていました。でも、こんなこともあるのですね。
いつもギリギリにならないと準備が完了しない私などには、まずは物理的にもマネできないことではありますが、決して穴を開けない責任感と、自らの学問世界をどのような場合にあっても伝えていこうとする意志に、強く打たれました。
人の死と継承・仕事といったことを考えさせられているお盆です。
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