祖母
岡山県北から帰宅。
母方の祖母が亡くなり、昨日が葬儀だったのだ。
96歳。最後の6年は、病院に入り、意識があったりなかったりだったから、祖母もようやく楽になって、ほっとしたかもしれない。
同居していた息子(私の母の弟)が亡くなったことも知らされていなかった。天国でおじいちゃんとおじちゃんに会って、驚いていたかも。
祖母と同居したり祖母の近所に住んでいた他のいとこたちとは違い、私と妹は夏休みや正月ぐらいしか会えなかった。でも、小中学生の夏休みにはけっこう長い期間、預けられていたから、かわいがってもらった思い出もたくさんある。
しっかり者で優しい祖母だった。
昭和の初め、まだ運送の主流が馬車だった時代に、トラックを買って運送業を始めた祖父。祖母は、祖父と二人三脚。私が小さい頃には、会社の事務所の横に小さな店を出して、文房具や小物などを商っていた。
話好きで、赤穂の塩饅頭を勧めてくれながら赤穂浪士の話を聞かせてくれたり、私たちがいたずらをすると、寝られなくなるくらい「きょーてー」話をいっぱいされたっけ。
講組の積立金を入れる木箱を近所に回し、鶏を飼い、夏には井戸でスイカを冷し、ケガをすればアロエをはる。私にとっては、自分の家とは違った生活が、おばあちゃんの所にはあった。
おいしいものといえば、ふくらし粉でふくらみ厚みがあって大きなホットケーキや、色々な具がのせられたばらずし。
人形や編み物など小間物をいっぱい作って、みんなに配っていた。パッチワーク状に色とりどりに編んだ膝掛けは、いまも我が家で重宝している。
雨天だった前日から一転、昨日はよい天気になって、本当によかった。
おばあちゃんのお骨は、小さく、もろかった。人は、はかない。
これで父方・母方の祖父母が4人とも亡くなった。自分のトシも感じるし、両親のことも思う。母は、祖母と性格は全然違うのに、歳をとるにしたがって顔も雰囲気も祖母そっくりになっている。
母方のイトコの中では、私がいちばん年長。小さかったイトコたちも、貫祿がつき、それぞれ子どももいる。祖母の孫は8人、曾孫が20人。私は久々に会うから、大きい子もオチビちゃんたちも、誰が誰の子やらさっぱりわからない。
いつのまにやら、町は合併で市になっていた。祖母が亡くなったから、ここに来ることもほとんどなくなるのだろう。
帰宅して、ずいぶん昔に祖母からもらったダイヤのペンダントとリングを出して、クリーナーで洗浄し、クロスでピカピカに磨いた。
子どもの頃の濃密な思い出とともに、膝掛けとこの二つとが祖母の形見だ。
私は色石の方が好きだし、とくにリングは普段使のデザインではないので全然はめることがなかったのだけど、これからは祖母を偲びながら身につけよう、と指に通した。
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コメント
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お久しぶりです。(鈴峯卒業生)
久々に訪問しましたら、お祖母さんが亡くなられたとのこと
ご愁傷さまです。
私の方も祖母が入院することになり、この連休に会いにいこうとしましたら周囲の親戚や親から、興奮して心臓に負担がかかるから、孫はしばらく会うの禁止と申し渡されてしまいました。
今は少しの興奮も厳禁と病院から言い渡されたとのことで、残念ですが仕方ありません。
今まで元気だったぶん、これから死に向かう姿を見ていかなくてはいけないのだなぁと覚悟をする時間をもらったのだと解釈しています。
投稿: nicchan | 2007/04/23 22:03
nicchanさん、こんにちは。お祖母さんが入院されたとのこと、早くよくなられるといいですね。
ご無沙汰していますが、お元気ですか?
私の方は、最近、忙しくて余裕を失っているのか、あんまりポジティブではないので、いかんなあ・・。もうちょっと自己肯定したいものです。連休に里山歩きをするのが楽しみ!
投稿: NAGI | 2007/04/24 09:55