映画「欲望」
映画は、原作をほぼ忠実に再現して、ヘンにオリジナルな部分を入れて作品世界をぶち壊すことなく、美しく作られていた。官能・欲望と、満たされない葛藤とを描いていたと思う。
・原作:小池真理子『欲望』
・監督:篠原哲雄
・脚本:大森寿美男、川﨑いづみ
・出演:板谷由夏(類子)、村上淳(正巳)、高岡早紀(阿佐緒)、津川雅彦(袴田)
⇒公式ページ
⇒関西どっとコム(⇒主演・板谷由夏と原作・小池真理子の対談)
⇒欲望@映画生活
中学時代、三島由紀夫に傾倒する美少年・正巳に憧れながらも、親友の阿佐緒に好意を寄せる正巳と一定の友情を保っていた類子。それから10数年後、学校図書館司書として穏やかな生活を送っている類子は、年上の精神科医と結婚した阿佐緒を囲み、久々に正巳と再会する。しかし正巳には、類子しか知らない秘密があった。高校時代に巻き込まれた事故で、正巳は性的不能に陥っていたのだ。そうと知りながらも類子は、正巳への愛が止められず、また正巳も類子を愛し始めていた・・・。(公式より)
とにかく映像が美しい。
R-18で全裸のシーンがかなり多いのだが、いやらしさが全くなかった。類子役の板谷由夏が知的な雰囲気をもっており、豊満なタイプではないことも大きいのだろう。
しかも、必要があって脱ぎました、といった理屈づけがプンプンにおうことなく、きっぱりと脱いでいるところにも好感。あまりに全裸シーンが多くて、そこまで何度もやらなくても・・・という感じもあったのだけど(全裸でグレープフルーツを食べる場面は、きれいではあるけど、布貼りではない椅子の座面に裸で座っては気持ちわるそう、などと余計なことを思ってしまう)。
でも、女性の官能性が、とても美しく撮れていたと思う。
そして、原作は、まさに三島由紀夫へのオマージュによって(のみ、と言っても過言ではないくらいの過剰な三島のイメージによって)成立した作品だったが、映画の方も、三島は重要なモチーフだった。
作中で引用が明示されていたのは、
・『春の雪』……雪の日の車のなかでの清顕と聡子の接吻場面
・『天人五衰』……袴田邸で正巳が読むほか、結末部も『天人五衰』結末と重ね合わせられる。また、瑤子夫人が描いた単行本『天人五衰』の表紙の海の絵も、正巳のゆくすえに重要。袴田の老いや失明も、『天人五衰』の本多・透と重なる。
・『仮面の告白』……正巳の事故による性的不能、女性を肉体的に愛することのできない苦悩が、重ねられる。
といったところだが、他にも見出そうと思えば、かなり引用されている感じ。
・『金閣寺』(原作には直接引用されていた)・『暁の寺』……火事のモチーフ
・『音楽』……冷感症、精神分析のモチーフ
・『禁色』……老作家が美を愛でるイメージ(津川雅彦演じる「袴田亮介」は、『禁色』の「檜俊輔」の名前から?)。美青年・正巳が女性を愛せないのも、『禁色』の悠一を模しているか。
・『美徳のよろめき』……繰り返される妊娠のイメージ
・『潮騒』……袴田の秘書夫人・初枝の名前?(潮騒の「初江」とは全く性格は違うが・・)
海と死のイメージも、『午後の曳航』『真夏の死』などに頻出。
まだまだありそう。
こんなふうに、これでもか、、というくらい三島と三島作品のモチーフが頻出するため、原作では「三島へのオマージュ」以外の部分がボケてしまった感があった。三島的イメージが過剰すぎて、焦点がハッキリしないのだ。登場人物みんなが三島的人物で、美的な被鑑賞者としてのみ存在するのは阿佐緒だけで、正巳はやや美の要素が入っているとはいえ基本的には認識者だし、類子も袴田も認識的な人物で、もう一つ際だつ感じがしなかった。原典をたとえば『豊饒の海』に限定してもよかったのではないか。
映画の方が三島的要素が整理されていて、さじ加減が適度だ。
さて、配役について。
類子を演じた板谷由夏は、とてもよかった。さっぱりとして知的で、真摯に役柄に取り組んでいて、好感がもてる。
高岡早紀と津川雅彦も役柄どおり。
ただ、村上淳はやや正巳のイメージと違っていたかな。
もちろん「美しくて、肉体労働をしているマッチョな身体で、性的な問題を押し隠す苦悩をもつ知的な読書青年」に適合し、かつハンパではなく脱ぐこともOKする30代前半の男優なんて、なかなか思いつかないのだけど。線が細すぎてもたくましさが出せないし、肉体派だと繊細さが表れにくいしね。
許せなかったのはお尻のいれずみ。あれが見えるたびに違和感がつのった。
役者本人のものならメイクで消せばいいし、役柄として入れているのだとすると意味不明のタトゥー。原作にもないし、観客に雑念をもたせてしまうので、やめてほしかった。
津川雅彦や吉田日出子などのベテランはもちろん、能勢・水野・初枝などを演じる脇を固める役者たちはうまくまとめていた。
筒井康隆と内田春菊がちょっとした役で出ており、目をひいた。二人ともうまいのだが、やはり本職の役者の隣でセリフをしゃべるとやや苦しい。
映像的には美しかったが、欲をいえば、原作ではあの三島由紀夫の家を模して建てられた設定になっている袴田邸を実現してほしかったかな。袴田の性格の象徴だけに、豪邸とはいえ普通の家だったのが残念。やはりあんな家をセットで作るのは無理だったのだろう。山中湖の三島文学館でロケ、なんてわけにもいかないだろうし。
あとは、昭和50年代前半という時代設定なのに、メーキャップや服装、街並み、往来を走る車などが今のもので、昭和の香りがしなかったのにも違和感。
現在にしてしまえばよかったとも思うけど、三島自決から数年という時代で、『天人五衰』を文庫ではなく単行本で使うためにはしようがなかったのか。
また正巳が海に入るところも、原作では納得できたのだが、映画ではまだ浅瀬のようで、もう少し何とか救いようがあるだろ、と突っ込んでしまった。
三島的モチーフの世界による女性の官能の追求と映像美を鑑賞すべき作品で、もうひとおしがほしかったが、結末はいい。
『天人五衰』の末尾を役者の声で朗読されるのを聞くのは初めて。作中の人物たちではないけれども、何度読んできたかわからない最も好きな文章を耳で聞くのは、とても贅沢なことだった。
最初のあたりも泣かないで読んでほしかったが、末尾の庭の蝉の声、老いて失明した袴田と朗読する類子とが来し方を思う姿が、まさしく『天人五衰』と重なっていた。
ところで、ダンナと見に行ったのだが、この映画についてやたら詳しい。
板谷由夏さんのブログなどで予習したそうで、映画館入り口にあったポスターの直筆サインを指さして教えてくれたり、「彼女はふつうの人だよ」と評したり(会ったのか!)、「板谷さんはこのあいだ広島に舞台挨拶に来た。これが2度目だ」だの、「撮影に1年半もかかった」だの、小ネタを次々と披露してくれました。(最後の情報は誤りで、撮影から公開までに1年半が経過した、ということのようであります)。ほほえましい(^^;;)。
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