能楽座「原爆忌」
●2005年8月31日(水)19:00-20:15
●広島アステールプラザ中ホール
●作・監修:多田富雄
●ワキ(旅の僧):宝生閑・大日方寛・御厨誠吾、
前シテ(被爆者の老女):観世榮夫、
アイ(ホームレスの男):山本東次郎・山本則孝、
後シテ(被爆者の男 [霊]、前シテの父 ):梅若六郎
●笛:藤田六郎兵衛、
小鼓:大倉源次郎、
大鼓:安福光雄
⇒asahi.com「左手とつとつ、原爆能 免疫学者、多田富雄さん」
⇒京都芸術劇場
超豪華な演者たちによる新作能「原爆忌」。
能で原爆を扱うことなど想像がつかなかったのだが、意外に違和感なく観ることができた。
被爆体験を持つ者が後の世代の者に語るこの曲の構成は、シテがワキに物語るという能の形式にかなっている。また元来、謡曲は仏教用語や故事などが散りばめられた形而上的な詩劇なのであり、だから核・原爆・核武装の議論・尊厳・平和といった語が浮くことなく、耳に入ってきたのだろう。
そして詞章とともに、お囃子もすぱらしい。笛や鼓の音色が、言葉を感性的に身体に落とし込ませていく。
アステール中ホールは本格的な能舞台も可能なのだが、今回の公演ではあえて能舞台を設置していなかった。最後の灯籠流しの仕掛けのためだと思われるが、能舞台でもよかったのではないかとも思った。それほど、違和感なく観ることができたということ。
-核武装が論議されるようになった被爆60年の原爆忌の日の広島を、旅の僧(ワキ)が訪れる。
平和が遠ざかりつつある世界の現状を嘆く僧に、一人の老女(前シテ)が、母が死に父が行方不明になってしまった、あの日のことを物語り、立ち去る。
つづいて、老いた被爆者の男(アイ)が若い男(アド)に被爆体験を語り、立ち去る。
やがて前シテの父の霊(後シテ)が現れ、地獄と化した広島で猛火に追われ黒い雨にうたれて命を落したことを語り舞う。
人々は灯籠を流し、犠牲になった人たちの鎮魂と平和を願う。-
娘が生き残り、被爆死した父親が霊となって現れる。という物語は、何やら井上ひさしの「父と暮せば」を想起させる。また、結末近くの地謡では、「私を返せ 父を返せ 母を返せ 人間を返せ 人間つながる全てを返せ」と、峠三吉の詩を素材に借りている。
現代文学と響きあう形で、新しい能が作られたのだろう。
作者の多田富雄は、会場で配布されたパンフレットの「「原爆忌」作者ノート」に次のように書いている。一部抜粋する。
能では幽霊が、死後に堕ちた地獄の苦患を物語るのが普通である。地獄は、だから常にあの世の物語である。それを体験してこの世に戻った幽霊は、現世のわれわれにそれを語って聞かせるのだ。これが夢幻能の常套手法である。
ところがこの能では、生きたままこの世で見た地獄を、死者が振り返って恐怖とともに物語るのである。後に続く救いは無い。それこそ広島に落とされた原爆の現実である。
前半の「静」と後半の「動」とを、アイ狂言、山本東次郎ほかの重厚な掛け合いがつなぐ。さらに、付祝言のように灯籠流しの「鎮魂の段」をつけた。人々はこの悲劇を二度と繰り返さないという誓いの言葉とともに、灯籠を流す。その中に、いつまでも後を見送って立ち尽くす、前シテの老女の姿がある。
テーマが、能の形式に編成されているさまがよくわかるが、生者(前シテ)と死者(後シテ)の語りという中心部分もさることながら、アイの山本東次郎・山本則孝の演じる部分がよかった。
老いた男が、若い男に被爆体験を語る。若い男の祖母も被爆者であったが、祖母はそれをひた隠して亡くなってしまい、孫として何も聞き出さなかったことに忸怩たる思いが残ったからと、若い男は、老いた男に体験談を聞かせてくれと請う。体験・記憶の継承というテーマを、最も如実に現していたパートだった。
東次郎師の発声は明瞭であり、「「どのようなところで どんな形で死んだとしても 人の死に変わりはあるまい」という人がいるが それは違う 多くの人々に見取られ 心安らかに死んでこそ尊厳ある人の死」というところなど、とくに心を打たれた。
パンフレットには、それぞれの演者が原爆や平和への思いや体験を書いておられる。東次郎さんが8歳のとき、広島で被爆した父のお弟子さんが語る体験を聞かれたこと、のちにそのお弟子さんが亡くなられたことは、体験を語り伝えるという、この能と重なりあうだろう。
また、「私の反戦行動はこの能への参加である」(小鼓方の大倉源次郎さん)の言も心に響く。そのような決意で舞台に上がっておられたればこその、端然とした姿と鼓の音。ならば、私たちがこの能を見ることも、一つの反戦行動と言えるのかもしれない。
あるいはこの曲には加害の歴史が盛られていない、という批判もあるかもしれない。
だが、被爆体験の風化とともに、原爆投下への怒りや抗議、鎮魂が忘れられ、敬遠されていきつつある今、第一線で能にたずさわる方々が、こういった形で作品を作り公表していかれたことは、いくら評価してもしたりないだろう。
ただ、やはり「重い」という先入観のためか、広報に課題があるのか、これだけの演者の出演にもかかわらず、満席ではなかったのが残念だ。観客層も、私などがいつも見ている芝居とはかなり違っていた。ふだん小劇場を見ているような層に届けることはできなかったのだろうか。
私自身、能を拝見するのは、数年前の「三輪」以来で久しぶりのこと。いきなり新作能ではなく、もう少し日常的に観ることができれば。関東や関西では公演も多いが、広島で、このたびのレベルのものを観能できる機会は数少ない。
今回の公演もプレイガイドでのチケット発売ではなく、地方在住の一般人にとって能は少々敷居が高い印象をもたれてしまう。もう少し気軽に日常的にお能を見ることができてこそ、「原爆忌」の挑戦も生きてくるのではないだろうか。
※なお、8月25日の東京公演は台風のため、9月6日(火)19時(国立能楽堂)に延期されたそうです。
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〔2005.9.5追記〕
⇒中国新聞
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