60回目の原爆の日
8月6日。
広島市長の平和宣言は、これからの1年間を「継承と目覚め、決意の年」と位置づけた。どうしようもなく混迷する世界状況のなか、被爆者が高齢化し、60歳定年の職場では、被爆1世がいなくなってしまうのが今年。被爆の重みを「継承」し、「目覚め」、行動への「決意の年」だとの位置づけは妥当だろう。
日本政府は、こうした世界の都市の声を尊重し、第一委員会や総会の場で、多数決による核兵器廃絶実現のために力を尽くすべきです。重ねて日本政府には、海外や黒い雨地域も含め高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。
昨夜の市民集会でも、在ブラジルの被爆者が、在外被爆者の救済を訴えていた。スピーチの冒頭で、サンパウロから広島空港まで30時間かかって到着したと紹介し、60年前の8月6日の被爆体験とブラジルに渡った経緯を語り始めた。
そして、現在の援護法では、在外被爆者は日本に来ないと原爆手帳交付も健康管理手当ても受給できないこと、自分は何とか来日できる体力があったが高齢や病気により来日できない在外被爆者が数多くおり、まったく援護されていないこと、したがって一刻も早く在外公館でも手帳交付が受けられるように改正してほしいと話した。
被爆者はどこにいても被爆者であることに変わりはないのだから、国内の被爆者と同じ援護を行なうのは当然だろう。
日本政府はこうした切実な訴えに目を向けてほしい。
(自身も被爆された加納さんは、この国は被爆者を伝染病と同じ発想でしかとらえていないと非難された。つまり、自分の隣に被爆者がいる可能性がある国内では、健康管理手当てを出してせいぜい身体に気をつけてもらいたいけど、海外の被爆者なんて自分には何の影響も及ぼさないから知ったこっちゃないよ、という発想だと・・)
市長の平和宣言には、一言一句に、そうした現実の裏打ちがあり、現実への改変の意欲がうかがわれた。それに対して、今日の式典の首相挨拶はなんだろうか。
さすがに昨年の各所からの批判を少しは反省したのか、若干顔をあげることもあったけど、とにかく完全な棒読み。
人類史上唯一の被爆国である我が国は、広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならないとの堅い決意の下、今後とも、平和憲法を遵守するとともに、非核三原則を堅持してまいります。また、国際社会の先頭に立ち、国際的な核軍縮・核不拡散のための取組を推し進め、核兵器の廃絶に全力で取り組んでまいります。
ほんとか?ほんとうに「平和憲法を遵守する」気があるのか?
こうして見てみると、字面だけはリッパだけど、態度は完全に挨拶文を裏切っていた。あの気のない形式的な読み方は、平和憲法なんてちゃんちゃらおかしい、守る気なんてまったくないよ、というホンネを露骨にあらわし、むしろ見せつけようとしているかのようだった。
そして、コイズミは、またしても被爆者の声を聴く機会をパスして、さっさと広島市を離れ、今年は福山の美術館で絵画鑑賞をしたのだとか。
文化を愛するのはいい。でも、被爆60周年の今日、あなたがしなきゃいけないことは他にあるだろう。ほんとうに「広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならない」「核兵器の廃絶に全力で取り組んでまいります」という気があるのならば、まず被爆者のナマの声を聴こうとするはずだ。
唯一の被爆国の首相という意識がまったく欠如した非人間ぶりに、ヒロシマは怒っている。
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広島3日目。この日は広島に原爆が落とされた日です。広島市の平和公園では追悼式と平和祈念式典が行われ、広島市長はもちろん、小泉総理や衆議院議長、参議院議長など日本のトップにいる人たちも参加しました。平和公園に団体でぞろぞろ行きまして、平和公園に設置されたテレビで記念式典のほう... [続きを読む]
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