中条省平編『三島由紀夫が死んだ日』
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三島由紀夫が死んだ日 あの日何が終わり 何が始まったのか 中条 省平 実業之日本社 2005-04-16 by G-Tools |
昨日紹介した神奈川近代文学館の三島由紀夫展を記念してのアンソロジーだとか。
もちろん一般の書店でも売っているが、私は文学館のミュージアムショップで購入し、帰りの新幹線の京都あたりで読了。
三島事件発生から2カ月ぐらいの間に主要雑誌に掲載された論評の整理と、小島千加子・瀬戸内寂聴・篠田正浩・森山大道・猪瀬直樹・呉智英・鹿島茂・中条省平の書き下ろし原稿、三島の略年譜によって構成。間に、生前や没後の三島に関する写真がかなり挿入されている。
諸氏の記述で重なっているのが、三島の最後の演説の光景やその死に対して感じた「痛々しさ」「痛ましさ」の印象。また、三島の書いた「果たし得てゐない約束-私の中の二十五年」(1970年7月7日、サンケイ新聞夕刊)の次の部分を引用し、時代の予言者として三島を再評価しようとする論者も多い。
私はこれからの日本に対して希望をつなぐことができない。このまま行つたら『日本』はなくなつてしまふのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。
個々の文章では、瀬戸内寂聴が初めて会ったときの三島の印象を「瞳の異相に尽きた」と書いており、写真でさえ圧倒される三島の眼を実際に見たらさもありなんと思わされた。弟・千之氏が語っていたという三島と川端の確執のこと、これも既に言われていることではあるが、また一つ証言が積まれたと言えよう。
(神奈川の三島展にも、「のおべる賞」の「すいせん文」を書いてくれ、と川端から三島に依頼した書状が展示されていた。独特の筆致の毛筆で、さらりとコトのついでに書いたような依頼状だけど、手紙の要はソコなわけで押しは強く、執念というか、おどろおどろしい欲望と人間関係の生ぐささが立ち上がってきた。同様に候補に上がっている三島に自分の推薦状を書け(=今回は自分に譲れ)と言うのだから。。あの書状を川端が書かず、三島がノーベル賞をとっていれば、三島も川端も死なずにすんだのかもしれないのだ)。
それにしても、呉智英の三島に関する文章はあまり見かけたことがないし、鹿島茂の、新左翼と三島の天皇観に関する文章も興味深い。
最初と最後におかれた中条省平の三島文学の位置づけなどを含めて、没後35年にふさわしい本だと思う。
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