Google検索


  • NAGIの小箱 を検索
    WWW を検索

おすすめの本_

ジャンル別


  • 文学・評論

  • 女性学

  • こども


  • 三島由紀夫占い:今日はこの本を読むといいことがあるかも
フォト
無料ブログはココログ

« 2005年2月 | トップページ | 2005年4月 »

2005/03/31

由布院・日田

yufudake退職した父の慰労をかねて、3世代で由布院へ。
温泉つかって、のーんびりしてきた。
さすがに火山地帯の九州。中国地方のおだやかな緑の山地とは、山の色が全然ちがうなあ、とつくづく。

娘のお守り(城島ゆうえんち)をダンナに頼んで、両親と私とは日田へ。
咸宜園では、係の方がていねいな説明をしてくださる。最初に、30分コースか15分コースか尋ねられ、父が30分!を選んだのだが、聞き手の出身地方を適宜おりまぜながらの解説は立て板に水。広瀬淡窓や学校制度の変遷について、よーくわかった。(これで無料。)
hina
そのあと、廣瀬資料館や岩尾薬局日本丸館を見学。さすがに天領日田。展示物がすごい。日本丸(にほんがん)という薬のことは全然知らなかったけど、赤い仁丹みたいなもの。動物製の原料入手の難しさから昭和40年代に製造中止になったそうだけど、飲んでみたかったなあ。
また、ギリギリ、おひなまつりの展示に間に合う。絢爛豪華とはこのこと。豆田町界隈は、古い町並みのなかに骨董屋などもあって、飛騨高山みたいな雰囲気でいい感じ。

入試関係等の代休を使い、かなり前もって休みをとっていたものの、年度末であとから所用も割り込み、いろいろ義理を欠いてしまった。けど、むりやり休みをとって行ってよかった。娘もわれわれも1年のアカを落したし、親孝行もできました。
さーて、明日から新学期。心機一転せねば。・・とその前に、食べ過ぎのお腹のしまつが先だな。

2005/03/28

年度末の誕生日

b.cake春休みになって、娘には楽しい日々が続いている。

昨日(日曜日)は、おじいちゃん・おばあちゃんと従兄姉一家と10人で会食。おじいちゃんが完全に職をリタイヤする慰労会と、従兄の中学合格のお祝いを、タイ料理屋で。
実家の父は、52年間の仕事を終え、孫たちから花束を渡されて、さすがにうれしそうだった。
娘は、従兄に自分のおこづかいからお祝いをあげると言い出し、何にしようか迷った末に(乏しいおこづかいなので、買えるものは限られている)、鉛筆を懸命に選んでいた。中学生からみればつまらないものだけど、気は心。あのケチな娘が、と親にしてみれば驚き。

inesそして、今日は、娘の誕生日。ようやく8歳。
プレゼントは、リクエストにより、おもちゃの機織機(はたおりき)。渡したとたんに、すごい勢いで始めた。毛糸の色をかえながら織っていくのが、面白くてたまらないらしい。おもちゃとはいえ、なかなか奥が深そう

hataori3月も末で、早生まれも早生まれ。娘の場合、出産予定日は4月1日。4月2日生まれからが次の学年になるので(誤解している人が多いけど、エイプリルフール生まれは前の学年)、予定日より1日遅ければ1学年下になるところだったが、数日早くて今の学年にすべりこんだ。
保育園の0歳児保育は定員が少なくて競争率が激しいので、1年の育休明けに1歳になるように生まれた娘は、親孝行ものである。おかげで、年度始めのもっとも保育園に入園しやすいときに1歳児になり、4月の仕事復帰とともに無事に入園できた。

早生まれの子は、他の子よりも最大1年発達が遅いわけだから、小学校低学年くらいまでは何かと心配なものである。娘は、身体だけはスクスク育ち、今では学年で2番目に背が高い。自分より早く生まれた子たちに懸命についていくのも悪くないだろう。

ところで、実は、私も誕生日が年度末。しかも、娘よりさらに遅い、どんづまりの早生まれである。(これまでの学校生活の中で、誕生日が自分より遅い人を一人しか知らない)。
別に早生まれだからといって不便をかこつことはなかった。同学年の人より若くていい、てなものである。

とはいえ、春休み中に誕生日を迎えることについては、恨みつらみはけっこうある。この際、ン十年ぶりに吐き出してしまおう。
休み中なので、友達からお誕生日プレゼントがもらえないことがしばしばあったのだ。同じ休みでも、夏休みや冬休みが誕生日であれば、当日は学校がなくて会えなくても、休みあけにはもらえるだろう。だが、春休み明けは、新学年。みんな気分も一新、旧年度のことなどきれいさっぱり忘れ去る。とくにクラス替えなどあれば、それっきりである。
プレゼントを贈りあう仲良しグループができて、私は他の子たちに渡したのに、私の方は春休みでもらえなかったことが何度かあった。決していじわるじゃなくて、春はホントに人間関係がリセットされてしまうのだ。
かといって、性格上、私はあげたんだからプレゼントちょうだいよ~、なんて請求できやしない。。密かに割のあわない思いをかみしめるのみである。(だから、こんなに虚無的で、耐え忍ぶ?性格になっちまったのかもしれない(^_^;)。

ただ、中2のときだったと思うけど、今年も何もないんだな、、、と思ってた誕生日、友人がわざわざ3人で家までプレゼントを届けてくれたことがあった。雪ぐつの形をした藁編みの民芸調のペン差し。すごくうれしくて、かなり長いこと使っていた。コンちゃんというニックネームだった大村さん、元気かなあ。。

娘の場合には、まだプレゼント交換などしていないようだが、そのうち始まったらどうだろうな。年度末・春休み中の誕生日、ちょっと不憫だけど、そのぶん友達のありがたさはよくわかるはず。ともかく強く生きていくのだぞ。

2005/03/26

春休みの土曜日

娘は昨日が終業式。あゆみ(通知表)を持って帰り、今日から春休み突入。
毎度のことながら、子どもが休みに入ると、親は何かとせわしい。

午前中は、ダンナと手分けして行動。
私は朝イチで子どもを小児科に連れて行く。10日ほど前、カゼで学校を欠席し、もうまったく元気なのだが、まだ鼻水・咳と声枯れが少しあるので継続して病院に行っている。吸入をして、薬をもらった。
その間、ダンナは小学校の児童館で留守家庭子ども会(学童保育)の保護者総会に出席。2年生の親が役員を担当するのだ。今年度、うちは総務係で、区連協やおやつ当番の連絡などをしていた。
総会のあとは、お別れ会。場所を体育館に移して親子競技やクイズなどがあり、お弁当も出る。娘は小児科から帰って、そっちに合流。
参加したダンナの話では、「人にとられても悔しくないもの、なーんだ?」というナゾナゾで、お母さんたちが、「ダンナかなあ?」などと答えていたそう。。愉快な人たちだ。(正解は、「写真」)。

午後からは、ピアノの練習をさせたあと(毎回、ケンカ(^_^;)、ピアノ教室へ。

museum夕方は3人で出かける。(写真は、パセーラのテラスから広島市を北東方向にみたところ。画面下はひろしま美術館)。
桜は咲いていないけど、もう春だ。

さて、出かけたのは、子どもコミュニティネットひろしまの観劇のため。「子ども……」は「おやこ劇場」の改称なのだが、まだ慣れなくて言いにくい。うちでは、相変わらず「おやこ劇場」と呼んでいる。2回ほど、例会と仕事などが重なって行けなかったため、久しぶりのおやこ劇場。

劇団うりんこシェイクスピアを盗め!
・於・広島市青少年センター
・脚本・演出:山崎清介
・原作:ゲアリーブラックウッド 、翻訳:安達まみ
・出演:はまだ紀世・原田邦英・川上真紀・大谷勇次・下出祐子・成瀬勝洋・朝比奈緑・小嶋隆之・佐久間晶子・高木秀樹・木下宏明

グローブ座の「ハムレット」の台本を盗むために、速記術を習得した少年が派遣されるのだが、彼は一座に入って修行しているうちに仲間意識に目覚め、当初の目的を忘れて・・・。

低・高学年合同公演だったけど、未就学児童にはちょっと難しかったのじゃないかな。
「ハムレット」の芝居が劇の中に入れ子になっているし、シェイクスピアの夢想が現実の中に混入していて、作りはほとんど「大人のお芝居」。
娘は、話の筋はだいたいわかったみたいだったものの、大笑いしていたのは、剣の練習などの単純に喜劇的なところかな。でも、脚本というものが大切にされていたこと、生きることに懸命で善悪の区別がつかなかった少年が、家族のような集団に恵まれて目覚めていったことなどは、きちんと伝わったんじゃないかな。

ところで、今日もらったビラによると、8月の高学年例会は、同じ劇団うりんこの「弟の戦争」。脚本・演出が、THE・ガジラの鐘下辰男さんとあっては、うちは低学年部なのだけど別料金払ってでも、絶対に見なくては!
また、例会ではないが、6月21・22日には、こまつ座の「父と暮せば」があるそう(於・南区民文化センター)。これまた見逃せない。「父と暮せば」は、7月23日に広島の演劇人たちによる公演もあるとのこと(演劇ユニット体温。於・東区民文化センター)。
被爆60年ということで、今年は色々な企画がありそうだし、おやこ劇場は、本当に良質の芝居を見せてくれるので、毎回楽しみだ。

2005/03/25

『はじめて学ぶ 日本女性文学史(近現代編)』

はじめて学ぶ日本女性文学史 (近現代編)
岩淵 宏子 北田 幸恵
ミネルヴァ書房 2005-02


by G-Tools

これはなかなか便利そう。
文学史の授業では、長いこと、磯貝英夫先生の『資料集成 日本近代文学史』をテキストとして使っている。文学史のテキストというと解説のみのものが多いのだが、これは、解説編と、「資料集成」の名のとおり作品のキモとなる部分が集められている資料編とで構成されている。学生が、実際に作品の一部を読むことができ、類書にはない特徴がある。

ただ、扱われているのが昭和40年代までとやや古い。先生のおつもりとしては、新しい時代については、新しい世代がテキストをお作りなさい、というところかもしれない。(それでも、半期や1年では、テキスト全部はとても授業で扱いきれない。高校歴史の授業で、原始や上代から始まって現代史までなかなか到達しないのと同じ事情)。
また、文学史記述としてはとても良質のものであるのだが、やはり執筆当時の限界もあって、とくに女性作家に関する記述や資料が少ないのも気になるところだ。授業で扱うときには、女性作家・文学については、別に資料を作って補っていた。

その点、この『日本女性文学史』は、女性文学の流れが(小説だけではなく、詩歌や戯曲も含めて)見て取れるようになっている。
ザッと眺めてみても、よくできている。戦後の原爆文学などについての記述もあって、これを通読すれば、近代の女性文学の概要をつかむことができるのではないだろうか。
文学史の授業のテキストそのものとして使うのは難しそうだが、参考文献としてぜひ紹介したい本である。

2005/03/24

阿佐ヶ谷スパイダース「悪魔の唄」

・2005年3月23日 19時
・広島アステールプラザ大ホール
・作・演出:長塚圭史
・出演:吉田鋼太郎、山内圭哉、小島聖、伊勢志摩、池田鉄洋、中山祐一朗、伊達暁、長塚圭史
公式HP

相変わらず、とてもよくできているし、後味の悪さも相変わらず。
「ホラー」だと聞いていたほど怖くはなかったけど、銃声が鳴り響くたびに、身体が震えた。とにかく、よくできた芝居だということは認めざるを得ない。
80年代演劇になじんだ世代として、長塚圭史の芝居をみるたびに、時代は変わったのだということを実感させられるのだが、芝居を観たという高揚感やカタルシスは、感じられない。観客の多くを占めるオネーサン方は、これ観てスッキリするのかなあ。。

広島が本公演の楽日。21日の福岡公演が地震のため休演になり、舞台挨拶で長塚さんが福岡から来たファンに向けてエールを送っていた。

それから、会場で、前任校時代の教え子(卒業生)に声をかけられる。開演直前であまり話せなかったけど、とっても大人っぽくなっていた。劇場で人に会うのも、いと楽し。

2005/03/23

セクハラ、アカハラ

河北新報2005年2月25日(会員登録制、無料)
asahi.com2005年3月21日
web報知2005年3月21日

私はこの件の実態を知らない。知りようがない。
だが、同様に無関係な人々が、この件、あるいはセクハラ一般について、「はめられたのだろう」「女はこわい」「学内政治がからんでるのではないか」「ふつうなら守ってもらえるのに、運が悪い」!みたいなことを言っているらしいのを見聞すると、どうもなあ・・と思わざるをえない。
そうした声が被害者をもう一度傷つけるのだ、ということに無感覚なことに呆れるとともに、ご自分たちがそういう立場になったときの先走った言い訳をしているようなさもしさを感じるのだ。

それとは別に、私の勤務校で、先日、新1年生のチューターを対象に、カウンセラーやハラスメント関係の専従者による勉強会があって参加した。その席で、「今まではゼミ生は男子学生がほとんどだったのに、来年度は女子学生が多い。セクハラだと思われないために予防策はあるのか?」みたいな質問をする中高年男性教員がいて、これまた、やれやれ、、である。

「予防策」なんていう考え方が小手先だ。
対女子学生だとセクハラ対策せねばならないと思っているようだが、じゃあ男子学生には何の「予防」も「心構え」もないまま対応しているのか? 男性教員が男子学生に対してアカハラ(アカデミック・ハラスメント)することも十分あるわけで、自分が教員だという自覚をキチンともっていれば、ハラスメント自体がおきないはずなのだ。

教員としての自覚というのは、自分が評価する側に立っており、いやおうなく相対的に権力を持つ側として存在しているということを知覚すること。つまり、自分は無意識にとっているかもしれない言動であっても、学生はそれを負荷として感じているかもしれないということを知り、負荷をかけないような言動をとるべく努力することだ。
そして、教員の自覚をもって対応することと、学生とフランクに・フレンドリーに語り合いつきあうことはもちろん両立する。迎合とは全く違う。

「自由恋愛」もダメなのか?なんてのもよく聞くけど、指導教員と学生の間に本当に対等で自由な恋愛が成り立ちうるのかははなはだ疑問。
もし学生が自分に好意をよせているとするならば、素の自分自身(そんなものがあるのかも疑問だが)に対するものではなく、教員としての立場抜きには成立しない、ということを知覚しておくべきだろう。にもかかわらず関係をもつことが「環境型セクハラ」であるというのは、企業研修などの教材では、もはや常識になっている。

たしかに以前は、教員と学生の恋愛や結婚はときにあった。(ロマンチックな恋愛譚として語られることもあるが、「○○先生は、奥さんの卒論を書いてあげたんだって」みたいなテクハラ(テクスチュアル・ハラスメント)な尾ひれがついて伝説化することもおうおうにしてある。また、同級生などからは、あんな人でも学生からは魅力的に見えるのかねえ、、なーんてことを言われたりもする。そもそも以前から、子弟間結婚の評価は諸刃の剣だったのだ)。
しかし、もう時代が違う。

そういう点では、さきほどは茶化したけど、「予防」策をこうじようと思う教員はまだマシなのだろう。(ま、「私はセクハラするような人間じゃありませんよ」と周囲にアピールしているだけのようにも見えるけど)。
実際のところ、どこの大学にも(もちろん大学に限らず、どの社会にもいるのだろうけど)、人を上下関係でしか見ることができず、イヤガラセすることでしか自己確認できないパワハラ人間や、怪文書まきちらすような人格障害としかいいようのない人物が、現実にのうのうと生存し、そのことを知らない人たちからはそれなりに尊敬されたりもしているのだ。

そして、キャンパス・セクハラについて言えば、研究者を養成するような大学(つまり、ある程度偏差値の高い大学、とくに大学院)で起る確率が高いように思う。

少子化時代の昨今、中下位の学校では、それこそ学生はお客様=神様であって、彼ら・彼女らの評判を落すことを避けることにやっきになっている。アカハラを生み出す環境ではなくなってきているのだ。(ただ、学生をバカにしつつお客さん扱いしている教員や、逆にはれものにさわるような扱いをする教員もいないわけではなく、それはそれでかなり問題だなのだが。)

だが、それより大きいのは、学校による教員と学生との関係格差だ。たとえば短大では、ある教員による成績評価は単にその短大での評価であるだけだが、研究者養成校だとそれだけではない。
キャンパス性差別事情―ストップ・ザ・アカハラ』の中で、江原由美子さんが「〈アカハラ〉を解決困難にする大学社会の構造体質」を説明している。一つは、「教員個人の裁量の余地の大きさ」。もう一つは、大学社会が、「大学組織」と「複数の大学組織にまたがる特定の専門領域の「研究者集団」」との「二重の世界」で成り立っているため、被害者は加害者の影響力から逃れうる可能性がほとんどなくなってしまうこと。たとえ、ある大学組織から逃れられたとしても、その専門領域で研究する限り、研究者集団の中で加害者から逃れることができない。

最前から教員=研究者の「自覚」と言っているのはそのことなのだ。その自覚が足りなかったり、逆に十分に自分のもつ力のうまみ(世の中全体から見れば微々たるものなのに、ご大層な力をもっていると過信している)を意識して行使しようとする場合に、セクハラ・アカハラ・パワハラ言動をしてしまう。
外の風に当たることなく、たとえば大学院からすぐに研究者養成大学に勤務したような場合、あまりにどっぷりとそうした構造のなかにつかりつづけて、感覚がマヒしてしまうのではないだろうか。
たとえば、立場に対する敬意や畏怖を、好意だと誤解する。あるいは、自分に向けられた好意的視線が、自分の立場や力に対してのものだということへの無自覚・・。

私自身は、かなりかなり外の風にあたり、痛みも受けてきた人間だ。
だが、他人ごとではない。自戒をこめて--想像力をはたらかせ、かつ、謙虚に。

・・・にしても、この件。やはり死ぬべきではない。とどうしても思う。
報道されたことが事実ならば、「指導教官を降りる」などと地位を利用して圧迫していて、典型的なキャンパス・セクハラだ。被害者の痛みを知り、自分の言動が引き起こした傷をずっと抱え持って、それでも反省しながら生きつづけるべきではないか。
あるいは、もし仮に本当にやっていないとするならば、生きて訴えるべきだろう。
大学組織と研究者集団との二重構造のなか、評価がいちど落ちてしまったあと(こういう話題を噂するの好きな人、多いものね)、生き抜くことの困難さに絶望的になったのかもしれない。が、、研究者ムラの中でしか生きていけないと思い込んでいる、温室栽培のような弱さを感じる。
いずれにせよ、この件については、憶測の域を出ない。

--


京大・矢野事件―キャンパス・セクハラ裁判の問うたもの
小野 和子
インパクト出版会 1998-09


by G-Tools
やはりこの事件が原点だ。矢野氏が客死したことで気の毒だという人もいたが、死と事件とは別問題だろう。どんなに業績があっても、人として女性を対等に見ることのできないような人間は、やはり断罪されてしかるべきだと考える。

もう一つ、キャンパス・セクハラではないけど、横山ノック事件の被害者・田中萌子さんの『知事のセクハラ私の闘い』も必読。被害者の痛みを知ることによって、自らが何をすべきなのか、何をすべきではないのか、おのずとわかるだろう。要は、人として当然持つべき想像力の問題なのだ。

2005/03/21

卒業おめでとう!

graduation3卒業式。

「おめでとう!
みんな、私の自慢の教え子だ!」
(ごくせん風に)

2005/03/19

清原なつの・讃

千利休
清原 なつの
本の雑誌社 2004-12


by G-Tools
先日、朝日新聞の書評欄に清原なつの『千利休』が載っていた。絵をみたとたん、あ、花岡ちゃんだ、、と、あまりに懐かしくて、ついつい注文してしまった。

この世代ならばみんなそうなのだけど、私もやっぱり少女マンガで育ったクチ。一条ゆかりや大矢ちき、池田理代子に山本鈴美香、山岸凉子などなど。(あー、名前を列挙してたら、色々と思い出してきちゃった)。恋愛、スポ根、歴史もの、コメディー。瀟洒なもの、エネルギッシュなもの、すべてにおいて黄金期だったと思うが、印象に残っているのは煉られた長篇ストーリーだ。

そんなラインナップのなかに、もう高校生になってからだったと思うのだけど、『花岡ちゃんの夏休み』が出てきたときは新鮮だった。少女マンガにテツガクが入ってるというか、花岡ちゃんと蓑島さんのとぼけた関係は、それまでの少女マンガにないものだった。
短くてたいしたストーリーはないのだが、一つの作品世界として個性的で完成していた。『ゴジラサンド日和』なんて、面白い話もあったけど、やっぱり極めつけは、花岡ちゃん。冷めた哲学的少女、でも浮いてはいない花岡ちゃんは、実に味があって魅力的だった。
再読したかったのだが、実家に見当たらない。もうちょっとちゃんと探したいけど、もうないのだろうなあ。。

さて、『千利休』。(コミックにはよくある何十巻といった)大長編ではない。千利休という人間と生きた時代の歴史的事実を紹介するのに追われている部分もあるのだが、それでも、名物に翻弄される人々のなかに生きる利休の人間性は見えてきた。
朝顔の挿話などは、野上弥生子の『秀吉と利休』と比較してみたり。
それにしても、秀吉を思いっきり猿顔にデフォルメしてもなお品性を感じさせる独特の描線。信長や秀吉が愛知・岐阜方言でしゃべっても、やっぱりちっともいやらしくないところは、本当に清原なつのの特性なのだろう。

そういえば、清原なつのは、私が読んでいた頃にも有間皇子の物語などを描いていたのだった。鹿と牟婁の湯につかるシーンなどを思い出す。神は細部に宿るのか、花岡ちゃんの「豆の湯」とか、20年以上たっていても細かい場面や絵は記憶に残っているものだ。

2005/03/17

日本女性学会の男女共同参画Q&A

日本女性学会が学会ニュースの号外として、『Q&A-男女共同参画をめぐる現在の論点』というのをweb上で公開している。男女共同参画やジェンダーフリーに対してなされる典型的な批判を27とりあげて、Q&A方式で回答を試みたものだ。
著作権は学会内の研究会にあるものの、コピーして自由に利用してよいとのこと。

研究会が模擬的に回答を試みているのは、次のような「批判」だ。

〔批判5〕男女共同参画政策は、鯉のぼりやひな祭りなどの伝統や慣習を破壊するものである。
〔批判8〕男女共同参画は、専業主婦という生き方を軽視し否定している。
〔批判10〕働く女性が増えると出生率が低下する。
〔批判20〕性教育パンフレット『ラブ アンド ボディ』は、中学生に性交渉を奨めている。
〔批判23〕フェミニズムは、個人の問題を、男女間の敵対の問題にすり替えている。

たしかに、ここにあげられている「批判」は、「過激な性教育」なーんてぐあいに誤解・曲解にもとづいてバッシングするときによく聞かれる典型的なもの。(ただ、基本法ができたため、批判勢力も「男女共同参画」には触れず(ホンネでは反対なくせに)、「ジェンダー・フリー」に焦点を絞って批判してきているのが昨今の情勢ではあるが)。さて、みなさんならどのように答えるだろうか?
研究会の回答はここで確認いただくとして、この答えだけが唯一絶対ではないだろう。だが、ジェンダー・フリーやフェミニズムに対して、明らかに曲解した批判をしてくる輩に対して、何と応えてよいのか困ったときに、参考になるだろう。
無料配布なのがまたよい。web上でこんなのを配布しないといけないほど、保守派のバッシングがひどいということだけど。

今の勤務校ではもう女性学の授業は担当していないけど、学生たちと自分たちの回答を作っていく、、という形で授業に使ってみるのも面白そうだ。

2005/03/16

人生は手帳で変わる?

いま手帳を替えようと画策中。というか、切り替えて、新しいのを試用しているところ。・・・なのだが、まずは私がこれまで使っていた手帳について書いておきたい。

planner1私は、この10年ぐらいずっと、大学生協のキャンパスダイアリー(能率手帳タイプの綴じ手帳)のカバーを外して、中身だけをミニ6穴のシステム手帳にはさんで使用してきた。予定は生協手帳に書込み、毎年使う記録(個人情報や観劇記録、手元に残しておくべき会議メモなどなど)はシステム手帳のリフィルを使用。大学生協のキャンパスダイアリーは年度単位(4月~翌年3月)なので、その年度が終わったら最初についてたカバーをつけて保管し、次年度のをバインダーに差し替え、システム手帳の方は恒常的に使用。住所録は、筆まめの一覧表を縮小印字してパンチで6穴あけてシステム手帳に入れていた。

システム手帳用の予定リフィルを使わなかったのは、当時売られていた年度単位のミニ6穴用リフィルに気に入ったのがなかったからだ。左側の週間予定に時間印がなかったり、あっても記入できる1日の時間が短すぎたり、紙質がイマイチだったり。また、バインダーが気に入ってアシュフォードにしたのだが、付属のリフィルをとりあえず使っていたときに、記入時にバインダーのリングが手に当たって書きづらいのも不満だった。これはシステム手帳自体のもつ短所なわけで、解消させるには綴じ手帳を使うしかない。
で、結局、それまで使い慣れていた大学生協の綴じ手帳を、バインダー左側のポケットにはさんで使うようにした。ちょうどミニ6穴システム手帳と大きさが同じだった。手帳後ろに付属していたメモ用白紙など不用なものはカッターで切り取って重量を軽くし、予定部分だけをはさんだ。
ミニ6穴なのでリングサイズは1.5センチだが、手帳をバインダーにはさんだため、厚みは倍近く、パンパンになった。

もともと、学生の頃は、うすっぺらな月間予定の手帳(1カ月が見開き2ページで、1日がブロックで区切られているタイプ)で十分だった。就職してみると、さすがにそれでは全く使い物にならず、手帳を色々と物色した。学校なので、年度単位であること絶対条件で、そうしてみると結局大学生協のものが使いやすいことに気づき(前後期の時間割記入欄があったりね)、卒業してから初めて、出身校の生協手帳を使い始めたという次第。毎年初冬に、自分で買うか、人に頼んで購入していた。
数年間は購入したままの状態で使っていたのだが、そのうち、恒常的に使うページを毎年新しい手帳に書き写すのが面倒になり、(生協手帳も、住所録だけは別冊だったので、次年度も差し替えて使っていたが)、そうした不変部分や記録・メモの用途をシステム手帳に移行させたのだった。

さて、このシステムで10年近く、それなりにうまく機能していたのだが、この1~2年、もう少しうまくいかないかな、、という気持ちが芽生えてきていた。最近2年間。昨年度=前任校の最後の年は、種々の事情でメチャクチャ忙しかった。また今年度学校を替わってみて、人間関係的にはありがたいことにとても安定したのだが、通勤時間が長くなったこともあいまって、仕事量は増えた。ダンナに言わせれば、土曜出勤など、明らかに前任校時代より私は忙しくなっているとのこと。ダンナとの間で行われている、家事・育児時間制でも、私の借金ならぬ「借時間」はどんどん増えて、返済に四苦八苦している。(うるうる。身体で支払わなくてはいけないのか・・)。

とにかく目先の仕事に追われて、自分の本当にやりたいことが手つかずの状態なのだ。じっくり腰をおちつけて、なんていうのが高望みなのはわかっているが、この2年ばかりキチンと研究ができていない。やらなくちゃいけないことをこなすだけで、日々が過ぎてしまう。(じゃ、こんなブログなんか書いてるなよ、というツッコミはおいといて)。
planner2TO DOメモはそれなりに工夫した。はじめは目標やTO DOをシステム手帳部に書いていたのだが、埋没してしまって目につかない。超整理法ふうのTO DOボードや薄いメモ帳を使ったこともあったが、手帳と別にすると不便。で、最近は、バインダーにはさみこんだ生協の綴じ手帳の表紙に3色のミニノート型ポストイットを10枚ぐらいずつ張って、TO DOにしている。上から黄・ピンク・青。黄色がその日の仕事、ピンクがその週の仕事、青が1カ月から数カ月以内の仕事。チェックして全部できたら、剥がして捨てる。

このやり方で、それなりにうまくやらなくてはいけない仕事はこなせるのだが、ちまちましているのが少し不満なのと、やはり毎日やっているのは「やらなければいけない仕事」であって、自分が「やりたい仕事」は後回し・手つかず状態が続いてしまう。

・・・というところに、巣窟日誌さんの記事を読んだのである。
時間の観念(Mタイム・Pタイム)フランクリン・プランナーとクオバディスの二つの記事によって、がぜんフランクリン・プランナーに興味を持ってしまった。
予定と目標と日々の仕事とのバランスをうまく取ることができるように思われたからだ。

少し調べてみると、フランクリン・プランナーというのは、手帳界ではけっこう有名なものらしい。私が十年以上、基本的に同じ手帳を使い続けていたあいだに、手帳界はいろいろ動いていたようなのである。(ご存知の方にとっては、今さら、、だろう。読みとばしていただきたい)。
とりあえず購入してみたお試しセット(2カ月分のリフィルと簡易バインダーと本のセット)に同梱されている本を読んでみた。題がすごい。
--『人生は手帳で変わる

※  この記事は、巣窟日誌(ふくしまゆみさん)のフランクリン・プランナーとクオバディスへのトラックバックです。

----
〔2008.11.20〕
すっかり遅くなりましたが、フランクリン・プランナー使用記を書きました。
人生は手帳で変わる?─その後

2005/03/15

TB:トラックバック企画 文字入力のこと

やぎさんのトラックバック企画 文字入力のことへのトラックバックです。

1.入力方式は?
親指シフト(ニコラ)で、タッチタイプしています。

2.日本語入力システムは?
Japanist2003です。

3.キーボードは何を使ってますか?
リュウドのRboard Pro for PCです。
残念ながらすでに販売中止になっていますが、自宅用・職場用・予備、と3本同じキーボードを持っています。
もし、3本ともダメになってしまったら、たぶん富士通のKB611に替えると思います。

---
やぎさん、はじめまして。
NAGIといいます。

面白い企画ですね。(やぎさんの企画は、親指シフトウォッチさんで知りました)。
親指シフトに転向されるおつもりだとか。。
うちのダンナも、12月末にローマ字入力から転向して(その顛末はこちら、とこちら)、もうほぼ快調に打てるようになってきています。(kb611+ATOK)。先日、ローマ字入力をしたら、だいぶ忘れてしまって親指より遅くなっていたようです。
転向後、最初のうちはちょっとたいへんかもしれないけど、慣れたら快適ですよ。頑張ってくださいね>^_^<

2005/03/14

「イズ・エー〔is A.〕」

映画「イズ・エー〔is A.〕
監督:藤原健一(第1回監督作品)
出演:津田寛治、小栗旬、内藤剛志、戸田菜穂、斉藤歩、姜暢雄

渋谷でファミレス爆破事件を起こして捕まった14歳の少年。少年法の規定により、4年後に、名前も住所も変えて社会復帰する。妻と子を事件で失った刑事は、わずか4年で本当に更生したのか疑い、復讐心から少年の後を追う。一方、少年の父親は、事件によって教師の職を辞め、清掃工場で働きながら、バラバラになった家族の再生を願う。そうした中、新たな殺人事件が起き・・。

「少年A」にまつわる映画タイトルといい、神戸の事件などを強く連想させる題材である。
オウムや9.11以降、私たちは、個人・社会・国家さまざまなレベルで、衝動的に・計画的に無差別暴力が勃発する可能性のなかに否応なく生きている。いつ自分/自分の家族が、被害者/加害者になるかわからない、不条理な世界のただなかにいるのだ。
そうした今の社会の空気・気分を、かなり体現しえている映画だと思う。

だが、私は、どうしてもこの映画に心から入り込むということはできなかった。認めるし、関心はあるけど、好みではない映画だということだ。
それは、結末を含めて、津田寛治演じる刑事に対して、どうしても感情移入できなかったためだろう。
妻子が殺され、自暴自棄に、あるいは虚無的になるのは、よくわかる。だが、「刑事」が、己の感情にまかせて少年の居所を知り、恫喝してしまうのには、どうしてもなじめない。それでは、身勝手なメッセージを残し、己の感覚のままに無作為に爆破した少年と、結局は変わらないではないか。あの刑事の行為が、再度の事件をギリギリのところで後押ししたのかもしれないのだ。

結末の行為も含めて、ああいった身勝手さを「男らしさ」だと勘違いしてほしくない。が結局、映画全般に、ある種の「男らしさ」の美学にのっとって作られた男のための映画だな、、という印象を抱かざるをえなかった。
そうしたストーリーや折々に挿入される瀟洒な映像(公式HPも凝りすぎていて、私にはやや閲覧しづらい。表示されるまでの待ち時間が多いわりに文字情報量が少なくてイライラする)には入っていけなかったのだ。

だが、役者たちはいずれもよかった。
津田寛治は、役柄は好きじゃないけど、鬱屈した心情をよく体現していた。小栗旬は、少年Aのわからなさ・「心の闇」を、無表情さに託している。身体は大きくても内面は未成熟なままの少年の、外見からはうかがいしれない怪物性を見せていた。
内藤剛志が、とにかく熱演。前半は抑制がきいた演技。世間をはばかりながら、息子と家族を懸命に気づかい、後半は思いつめて行動に走る父親の姿を演じている。印象深いのは、逃亡したユウヤを探して海岸線を車を走らせながら涙を流すシーン。自分の息子が加害者になってしまった誠実な人間は、おそらくこんなふうに生きざるをえないだろう、という説得力があった。子どもも生きていくのにしんどい時代だろうけど、親であることもかなりしんどい時代に私たちはいるということを、改めて思わされた。

横川シネマ!!にて、3月18日(金)まで。

B0008GGTUQイズ・エー [is A.]
津田寛治 藤原健一 小栗旬
GPミュージアムソフト 2005-05-25

by G-Tools

2005/03/12

おばあちゃんちのごはん

今日は、早朝から二人とも仕事が入っているため、昨日、家で夕飯を食べさせてから娘を実家に連れて行った。
去年の4月に職場を替って、学部は違うのだが、ダンナと同じ学校に勤務することになり、行事が重なることが多くなった。とくに、1~3月は、入試関係や論文審査・発表会などの仕事がたてこんでいる。
ふだんは何とかダンナと二人、当番を決めて家事・育児をこなすようにしているのだが、二人の仕事が重なると困るのが、子どもをどうするか、、ということ。
・・というわけで、車で20分ぐらいのところにある実家に頼むことが、昨年までと比べて、かなり増えている。

(そういえば、以前、『AERA』に、子どもが病気で保育園に預けられないときなど、実家の親に飛行機で来てもらう「フライング・グランドマザー」の記事が載っていたことがあった。それも大変だ)。

わがままで甘えん坊な娘だけど、実家に預けられたとき、仕事に行く我々に対して、「行かないで」と言ったり、ぐずったりしたことは、赤ちゃんの頃から、一度もない。本当に見事なぐらい。
寂しいことがないわけではなくけなげに我慢しているのか、それとも、おじいちゃん・おばあちゃんといるのが本当に楽しいのか、それはわからない。たぶん両方なのだろう。実家は一戸建てで、猫もいるし、マンション暮らしの我が家と違っていて、うれしいのも確かなようだ。
でも、ともかく、聞き分けよく別れてくれるのが、(小さい頃には、別れ際に胸がきゅんとなることが多かったけど)、助かっているし、あの子がいい子にしていてくれるのだから、我々も仕事をちゃんとやろう!と思う。

娘は土曜日にはピアノを習っているので、土曜日に預けるときには、我が家の近くの教室まで、実家の父に連れて行ってもらう。近頃はだいぶ丸くなったとはいえ、あの父が孫娘のために送迎をしてくれるということが、驚きなのだが、二人で駅まで歩き、JRに乗っていったいどんな話をしているのか?ということも謎だ。娘に聞いても、ヒミツだと教えてくれない。

さて、今日、迎えに行きがてら、実家で一緒に夕飯を食べさせてもらいながら思ったのだが、娘は、おじいちゃん・おばあちゃんちだと、ごはんをよく食べる。ふだんは、みそ汁や野菜を残すこともあるのだが、実家だとなんでもよく食べるのだ。先日は、白菜と厚揚げの煮物を、「おばあちゃん、これ何? おいしいねー」と言って、おかわりして食べたと聞いて、驚嘆した。家では、白菜なんて鍋に入れても食べやしない。
やはり年季の入った味にはかなわないのか・・。我が家の食事担当者は、ダンナと私。二人で悔しがっている。
うちの料理もいいせんいってると思うのだが。。

それにしても、来週は日・月(祝日)と二人揃って仕事。会議や卒業式を休日に入れるのはやめてほしい・・・。家事・育児負担をしていない人間の発想だと思う。いくら代休がとれるといっても、困るものは困るのだ。また、実家に足を向けられない日々。。
しかし、娘は、猫に会える、おじいちゃんと遊べる、おばあちゃんちのごはんが食べられる、、と喜んでいる。

2005/03/11

文楽・広島公演・昼の部

2005年3月9日(水) アステールプラザ中ホール
文楽 広島公演・昼の部
艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)酒屋の段
義経千本桜 道行初音旅(みちゆきはつねのたび)

文楽を見るのは久しぶり。
人形一体に三人の大人がぞろぞろとつきそって、その人形遣いは声を発すことなく、太夫と三味線で語られる。最初に観たときにはビックリした。でも、それが月並みな言い方だけど、人形が生きているように見えてくるのだ。文楽って、本当に希有の芸能だと思う。

酒屋の段、お園の簑助さんがすばらしい。以前はもっと若々しい感じだったのだけど、身体の動きはやや少なくなっても、情感がしっとりと出てくる。
千本桜の方は、静の扇投げ、一人でやるところで受け取りに失敗したのでどうなることかと思ったが、後ろ向きでヒュッと投げるところでは忠信がみごとにキャッチ。人間業とは思えない。
昼・夜で演目違うし、広島にはめったに来ないから、両方観た人もいるんだろうな。夜は簑助さんが出演されないから、私は昼の部にしておいてよかった。。

3年生が3人見に行くと聞いていたのだが、会場では見かけなかったなあ。狂言や歌舞伎や、前任校時代もそうだったけど、伝統芸能好きの学生はいつもいる。また、感想を聞いてみよう。

それにしても、ダンナに、「こないだは近松心中物語なんて見に行ってたし、今日のも、夫には外に愛人がいて、見向きもされない嫁がけなげに夫を慕い続け、義父母につくす、という話。そんな話の文楽やら歌舞伎やらを好んで見に行くのと、ジェンダーなんて専門にしている自分と、どう折り合いをつけてるんだ?」と尋ねられてしまった。

うー、そんなこと言われても・・。
私が三島由紀夫を愛読してることがすでに謎なわけで、人には矛盾があるのだあ!?

・・なんて開き直ってもいられないのだが、でもよくわからない。
たしかに江戸時代には、人形浄瑠璃や歌舞伎は、「女は、嫁は、かくあるべし」と、教育としての役目も果たしていたのかもしれない。でも、大部分の庶民は、夫が外に愛人がいて子どもを生ませ、殺人を犯しても、それでも「添ひ伏しは叶はずともお傍にゐたい」と夫を慕ったり、義父母に尽くしたり、、なんてことは現実にはしないだろう。孝やら忠やらを、どの程度本気で信じていたのだろうか?(この辺り、近世専門の方に尋ねてみなくては)。
あるいは、女性が自分の意志を通して、なお称賛されるのは、「貞女」「孝女」の道しかなかったということなのかもしれない。
いずれにせよ、心中物や孝行ものがもてはやされたのは、やはり常人にはできないから、あるいは「型」としての美しさを愛でたのではないのだろうか?

今の観客にとっても、現在の生き方や感情からは最も遠いところにあるものの型としての美しさを鑑賞する、あるいはかつてあったと思われるものを懐かしむ、そんな感覚じゃないかな。いまキモノがブームだけど、活発な女性が、フェミニストも含めて、着物を着て楽しむような(私は着ないけど)、そんな感覚だと思うのだけど、どうなのだろう。。。

2005/03/10

橋本治『蝶のゆくえ』

蝶のゆくえ
橋本 治
集英社 2004-11


by G-Tools
今、必要があって「家族」をテーマにした現代小説を読んでいる。

今日、橋本治『蝶のゆくえ』を読了。
設定が異なった6つの短編で構成されていて、全体として家族のイマが見えてくる。

冒頭の「ふらんだーすの犬」にまず圧倒される。主人公の7歳の男の子に若い未熟な親の虐待が加えられていく、ごくごく自然な流れ。淡々として、そして悲しい。あまりに強烈に自分の感覚を撃たれてしまい、ちょうど同い年なだけに自分の子どもの顔を思い浮かべてしまう。娘と同じ年齢の子の上にあった無残さを想像するとつらく、このあとの作品を読み進めていくのはきついのではないだろうかとたじろいだのだが、以後の作品は、OLや主婦や短大生や、、といったごく普通の女性の日常の断面と意識とが描写されている。

「ふらんだーすの犬」で現代家族の亀裂-もっとも弱い子どもという構成員にあてられた暴力=養育放棄-を見せたあと、一般的な生活のなかの家族像が切り取られていく。読者それぞれに、家族とは何かを省みさせる強い力をもっている。久々に「小説の力」を感じさせる小説を読んだ気分。ぜひ読んでいただきたい。
(それにしても、作中の「うっかり……してしまった」という語法がとても気になる)。

つづいて、佐伯一麦『鉄塔家族』を読む予定。

2005/03/09

アパート探し

今日は、先日の休日出勤の代休。午後から文楽に行く予定(^_^)

昨日は、4月から受け入れる留学生のアパート探しをした。留学生会館に申し込む予定だったのが、受給金の関係で留学生ビザではないため会館には入れないことがわかり、急遽、民間アパート探しを頼まれたのだ。いまどきの教員はたいへんだ。
私は大学周辺にまったく土地勘がないので、前もって大学院生のNさんに周辺の住宅事情についてレクチャーしてもらった。

昨日は、正午に入試の合格発表があり、その後は新入生が押しかけることが予想されるため、物件探しは午前中が勝負。9時すぎには、すでに生協には住い探しの新入生とその父兄がけっこういたが、その群れの中にもぐり込む。

最初は、トラブルが多いため代理人での住い探しはダメだと断られた。じゃあ本人が来日する3月末にも条件のいい物件が残っているのか?と尋ねると、それは難しい、との答え。
本人には私の方からキチンと説明するから、またトラブルを起こすような人ではないことは保証する、ということで認めてもらう。
(院生や他の留学生に探してもらえばいいじゃないか、と人から言われたのだが、それではとても受け付けてはもらえなかったかもしれない)。

ともかく、その後は、生協の方々にもとても親身に相談にのっていただき、無事、比較的安くて、近くて、静かで、便利な物件を見つけた。(その代り、築年数がたっていて、東向きで若干日当たりに難。でも、そこは目をつぶってもらおう。なにもかもそろったところなんかない。本人が万一不満だったら、私が夜遅くなって広島まで戻るのがしんどいときなどのセカンドハウスに使いたいくらいだ。そんな余裕のお金はないけど・・)。
手付け金を入れて、保証人欄にも押印して、敷金等も振り込むことを約束して、ほぼ契約に近い形まで行う。あとは、来日した本人が本契約を結ぶのみ。

それにしても、今どきのアパート探しは、システマティックにすすむ。
まずスタッフと相談のうえ、予算等の条件により3軒まで絞る。そして、生協が何台も借り上げているタクシーを使って、別のスタッフと一緒に下見。(タクシーが戻ってくるまで、だいぶ順番待ちがあった)。一部屋に決定したら、別室で専任のスタッフから重要事項説明を受けたあと、契約、という手順。
下見で、空き部屋も見たし、大家が借り主の許可をとった上で鍵をあけてくれて使用中の部屋も見させてもらった。ロフトベッドにコタツに本棚。学校で会う学生たちは、こんな部屋に住んで勉強し生活してるんだな、、と思うと、なんだかとてもいとおしい。

といっても、部屋もピンキリで、両親と姉の4人で来ていた男の子の相談が隣で聞こえたのだけど、アパートの倍の予算でマンションタイプの部屋を選んでいた。また、仲良く同じアパート(部屋は別)に住まう相談をして下見に行っている男の子二人組もいたり、両親だけで娘のアパートを選んでいたり、それぞれだなあ。

結局、私の場合には、ちょっと特殊だったので、朝9時すぎから12時半ぐらいまでかかって終了。本人が気に入ってくれればよいのだが。。

2005/03/07

栗原貞子さん死去

中国新聞記事

栗原さんも、山代巴さんとおなじく92歳で亡くなられる。

2005/03/05

がんばれ本屋さん!

今日、家族で三越から平和公園の向かい側まで行くために、久ーしぶりに、本通りを端から端まで歩いた。
ずいぶん様変わりしちゃった。ケータイ屋と薬局(ドラッグ・ストア)とコンビニばっかり目につく。

いちばん残念なのは本屋さん。廣文館、丸善、積善館がなくなって、本通りに面した書店は金正堂だけになってしまった。
それぞれ特徴があったのになあ。。子どもの頃からの馴染みの店がなくなってしまっているのは、とても寂しい。

金正堂さんは、前任校時代にお世話になっていた。担当の方がみなさんとても熱心で、担当者が替わっても引継もちゃんとしていて、注文した品以外に見計らいで面白い本を持ってきてくださっていた。現在の勤務校は営業範囲ではないのだが、まだ前任校に非常勤で行っているので、私が買いそうな本があると、ときたまメールで紹介してくださり、それがまた憎いことにツボにはまっているのだ。ありがたいことである。
・・ということで、がんばれ、金正堂さん!

2005/03/03

「反ジェンダーフリー採択」の恥ずかしさ

庄原市議会で、反ジェンダーフリー請願が採択されたそう。

〔中国新聞 2005年3月2日朝刊 〕

ジェンダーフリー教育
排除求める請願採択
庄原市議会 県内15市で初

庄原市議会は一日の本会議で、「ジェンダーフリー教育の排除を求める請願」を県内十五市の議会で初めて採択した。

請願は、「各地の教育現場で男女共同参画社会の推進に名を借りて男らしさ、女らしさまでも否定するジェンダーフリー教育が行われようとしている」とし、「庄原市では同教育の例は少ないが、真の男女共同参画社会実現のための教育推進」を求めている。

討論では「同教育は、こいのぼりや、ひな祭りなど伝統文化も否定するもの」「男女差別の解消は既に国民的合意がある」など三人が採択に賛成。一方で「男女共同参画社会づくりが進んでいるが、女性の地位はまだ低い」「ジェンダーフリーの意味するものをもっと研究すべきだ」など三人が反対した。挙手採決の結果、賛成十一、反対六だった。

討論に先立つ質疑で、庄原市については、小学校での男女混合名簿の採用が同教育に当たると示唆する発言が請願の紹介議員からあった。市教委は十年以上前から採択しており、同教育に基づくものではないとしている。

請願は「日本会議広島」(安佐南区)が提出した。全国では鹿児島県議会などで採択されている。


ため息。息苦しい世の中になっている。
PTAにも手を延ばし、反対勢力は明らかに組織的に動いている。基本法ができて「男女共同参画」自体には表立って反対できないため、「ジェンダーフリー」に焦点を絞って責めているが、ホンネが反・男女共同参画であることは見え見え。「ジェンダーフリー」概念をわざと曲解して反対するマッチポンプ方式の陰険さ。
また、県北の反対が少なそうなところから実績づくりをしているところも姑息。恥ずかしいかぎりだ。悪影響を受けるのは子どもたちなのに。

日本女性学会の学会ニュース(101号、2005年2月)でも、ジェンダーフリーに関して二本の記事が。
・内海崎貴子「「ジェンダー・フリー」と「混合名簿」について考えていること」
・伊田広行「ジェンダーフリー概念を捨て去るという退却戦略は有効か?」
もう少し考えてみたい。

2005/03/02

つれづれ

昨日、前任校の教え子が研究室を訪ねてくれた。短大卒業後、四大編入し、そのまま大学院の修士課程に進んで、この3月に修了する。国語教育が専門で、4月から、私の勤務校の教育学部の研究生になる予定なのだそう。
改組前の最後の学年で、個性的なメンバーがそろい、初めて入学した社会人の方を中心に仲がよくて、私にとっても思い出深いクラスなのだが、卒業後はなぜか一度も会っていない。4年もたって訪ねて来てくれるのはありがたいこと。

ところで彼女はすでに結婚しているそうなのだが、私の周囲にいる院生・元院生や最近知り合った院生で学生結婚している(した)人がけっこういる。私が院生だったころは、同居してる人はいたけど、「結婚」という形態をとったのは一人ぐらいしか思い浮かばない。
意識が変わったのかなあ。それにしても、学生「結婚」するメリットってなんだろう。また、当時はなぜ学生「結婚」しなかったのだろう。やはり80年代が独特の時間だったのだろうか。

さて、今日は、公民館で、文学と女性学(ジェンダー)を組み合わせる形での講座を担当。先週にひきつづき2回目。
女性センターなどでは「文学で女性学」な講座を担当したことはあったが、そうしたところでは受講者はほぼ100パーセント女性。が今回の公民館では、男女比がちょうど半々。図書館などでのふつうの文学講座であれば男性がたくさんいても当前なのだけど、ジェンダー講座では初体験。仕事をリタイヤした男性のみなさまに(最初に自己紹介していただいた。「毎日が日曜日」という方ばかり)、ジェンダーがどのように受けとめられるか、おっかなびっくりだった。

初回は講義で、今日は読書会形式で進行。前回の講座のあと、受講生からFAXで質問が届いたと公民館の担当職員の方が送ってくださり、反応に驚く。今日の読書会もかなり活発に意見が出されて、なかなか面白い体験だった。18歳人口激減のおり、大学も新たな対象を求めているし、社会人の方々の生涯学習ニーズも高い。これをキッカケに、関心をもっていただけるとありがたい・・・ということで、学校の宣伝(本務校のようすと来月から開かれる公開講座の宣伝。ついでに(^_^)前任校に近い公民館だったのでその宣伝も。)をさせていただいた。

« 2005年2月 | トップページ | 2005年4月 »

twitter

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のトラックバック

DVD

  • 春の雪
    :
    春の雪
  • 憂国
    :
    憂國
  • 炎上
    :
    炎上
  • 午後の曳航
    :
    午後の曳航
  • ラビリンス 魔王の迷宮
    :
    ラビリンス 魔王の迷宮 コレクターズ・エディション
  • きみはペット
    :
    きみはペット DVD-BOX
  • 野田版 研辰の討たれ
    :
    歌舞伎名作撰 野田版 研辰の討たれ
  • 阿修羅城の瞳 舞台版(2003)
    :
    阿修羅城の瞳 映画版(2005) & 舞台版(2003) ツインパック

CD

  • 曽根麻矢子 -

    曽根麻矢子: バッハ:ゴルトベルク変奏曲
    最近のお気に入りは、曽根麻矢子さん。「イギリス組曲」や「イタリア協奏曲」も素敵ですが、やはりこの1枚がおすすめ。丁寧な演奏と美しい音質にとても好感がもてます。

  • ヨーヨー・マ -

    ヨーヨー・マ: ヨーヨー・マ ベスト・コレクション
    「リベルタンゴ」やバッハの無伴奏も入っているので、ヨーヨー・マで一枚だけ、となると、やっぱりこれかな。。それぞれのアルバムで聴きたいところですけどね。

  • Yo-Yo Ma with The Amsterdam Baroque Orchestra & Ton Koopman -

    Yo-Yo Ma with The Amsterdam Baroque Orchestra & Ton Koopman: Vivaldi's Cello
    知性と穏やかさの感じられるヨーヨー・マの演奏。これは、よく聴くアルバム・ベスト3の一つです。

  • 春風亭小朝 -

    春風亭小朝: 小朝の夢高座Op.1「牡丹燈籠 ― 御札はがし」
    うまい! 何でこんなにうまいんだろう。落語家につける形容詞じゃないけど、スキのないうまさを堪能できる。もっとCDを出してくれることを切望。

  • のだめオーケストラLIVE!
    のだめオーケストラ・東京都交響楽:

    「のだめオーケストラ」LIVE!

    娘がピアノの練習を嫌がらずやるようになった、ありがたーいCD。2-2の2小節で間違えるバージョンがことのほかお気に入りの様子。クラッシックの入門編として。
  • Best of Bowie(US)
    David Bowie:

    Best of Bowie (Bonus CD)

    とりあえずデヴィッド・ボウイを聴きたい方へ。変遷を手際よくたどるのに好適!
  • Labyrinth
    Original Soundtrack:David Bowie:

    Labyrinth: From The Original Soundtrack Of The Jim Henson Film

    映画「ラビリンス」のサウンドトラック版。音楽的にもなかなかよい。バブバブ言っているのがボウイだと想像すると微笑ましい。
  • バッハ:ブランデンブルグ交響曲5番
    トレバー・ピノック/イングリッシュ・コンサート:

    Bach: Brandenburg Concertos Nos. 4-6; Triple Concerto BWV 1044

    硬質なカシャカシャとした音が、バロックにとても合っていて、気分が落ち着きまする。
  • Karajan Spectacular
    カラヤン:

    Karajan Spectacular

    そうは言っても、「ワルキューレの騎行」は、クナよりもカラヤンをとりたい。
  • ワーグナー:名演集
    クナッパーツブッシュ/ウィーン・フィル:

    ワーグナー:名演集

    「すばらしい」の一言。夾雑物が何もなく、ワーグナーの音自体が見事に立ち上がってくる。