非常勤の卒業ゼミ
11月末ぐらいから、ずっと学生たちの論文の下書き・提出論文の査読がつづいている。ほとんど他のことができないと言っても誇張じゃないぐらい、人さまの論文を読む・読む・読む……の生活。それも2月下旬で大詰め。あと半月ほどだ。ガンバロー、オー。
さて、昨日は、非常勤に行っている元・勤務校の短大での授業が、今期最終回だった。
後期は、卒業ゼミ1コマのみを担当。1年次のチューターをしていた関係で、この学年が卒業するまで面倒をみるように、と依頼されたのだ。
文学関係の卒業論文、卒業制作(小説などの創作)、女性学関係の論文を完成させるのが授業の目標である。
メンバーには、日文の一般学生のほか、留学生、英語系コースの学生がおり、ほかに、もう私の授業を3年ほど受けてこられた社会人のお二人も加わっておられる。
卒業ゼミを社会人に開放したということで、広島で社会人の生涯学習を支援するNPOの広報誌に評価していただいたのだが、誰でもすぐに卒論指導しますよ、ということではなく、お二人が他の卒業年次の学生と同じくらい文学関係の授業を受けてこられた実績があったからこその開放だし、私がその短大で卒業ゼミを担当するのは今期が最後になるからこそでもあった。
卒ゼミでは、それぞれの論文や創作を仕上げたが、レベル的にはもちろん学界先端なんてほど遠い。でも、それぞれが調べたり、考えたりしていった過程は、とても貴重だと思う。
女性学でDVについて書いた学生は、広島県と帰省先の島根県との担当行政へ聞き取りに何度かうかがい、現場ならではの話やいただいた資料を論の中に組み込んでいた。(もちろん、卒論後に礼状を書くように指導している。)
社会人のお一人は、最初は、「私はとても書けないからオブザーバー参加で」と言われていたのだが、途中からやはり書いてみたいと自分史に取り組まれ、完成させた。文章的には素朴で、句読点や漢字・送り仮名などを含めて朱は入れたが(なるべく、ご本人の味わい深い文章表現は生かしつつの添削)、内容には圧倒された。
当時日本の植民地であった韓国で生れ、引き揚げてこられるときの家族生き別れ寸前の壮絶な体験。日本での小学校から高校時代のこと、結婚後、4人産んだうちの3人のお子さんを生後すぐに亡くされたこと(このときの気持ちはまだ書くことができない、と事実のみを書かれた)、再就職の際の葛藤や仕事のようす、親や舅姑をみとったこと、退職後に資格取得・複数の習い事・野菜の出荷をされていること、などなど。
いつもニコニコされている方の過去と生きてきた時代とポジティブな生き方とに、中間発表などで原稿を回覧した学生たちは驚き、「尊敬します」と口々に語った。彼女たちにとって、自分の生自体をも考える機会となったと思う。
3年前に私の授業を初めて受講され、週1回、県北から数時間かけて通ってこられたのだが、最後に「先生とは運命的な出会いでした」とおっしゃっていただいた言葉は、私にとっても一生の宝物。
文章を書くことに慣れてきたので、これからは中国新聞の「こだま」に投稿してみたいのだとか。期待していますよー。
ほかにも、若さならではのキリキリするような繊細な感受性で、日常生活の疎外感と創作世界への逃避を描く小説を書いた学生。頑張り屋さんの留学生の文学研究の論文、現代小説の分析に取り組んだ論、ジェットコースター・ドラマのようなロマンチックな小説執筆を試みられた主婦の方など、それぞれの力を出していたと思う。
昨日は最終回だったので、反省会と打ち上げ会。最後、寄せ書きの色紙をもらったり、休学中の仲間に励ましの色紙を書いたり、文学散歩に行った写真を配ったり(デジカメにしてから、現像に出すのがおっくうになってすっかり遅くなってしまった)。そうして、別れを惜しんだ。
非常勤先では、本来の専門である文学関係の授業としてはこれでお仕舞い。
まだ、あと半年間は保育関係の改組がらみで「児童文学」の授業2種類に行かねばならないし、もちろん私もプロとしてキチンと仕事はこなすつもり。(作品読解だけではなく、絵本の読み聞かせや、手遊び歌との組み合わせ、ローソクをつかったストーリーテリングなども行う。昨年、授業の前日に練習をしていた私を見て、ダンナは「歌って踊れる文学研究者」と評していた(^_^;
でも、前任校への責任は、この2年生の卒業ゼミが終わったことで果たしたと思っている。私も、前任校をほぼ卒業した。
これからは、本務校での指導に専心するぞ。
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