15年
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12月2日
NAGI様
アット・ニフティを15年間ご利用いただきまして
誠にありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
From アット・ニフティ スタッフ一同
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12月2日はNAGI様がアット・ニフティにご入会されてから、
ちょうど15周年目にあたります。
日頃のご愛顧に感謝し、スタッフ一同、心よりお礼を申し上げます。
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ニフティから、上記のようなメールが来た。
(一部改変:名前をHNに変更して引用)。
15年前ということは、1989年。私が名古屋に移って2年目。
まだNIFTY-Serveだったころ。OASYS30AF3で始めたか、ノート型のOASYS-ADだったか、とにかく私はワープロで「パソコン通信」を始めたのだった。
ニフティ・マネジャーという専用ソフトで(いや、ちがったな、ニフティ・マネジャーはパソコン・ソフトだ。もっとずっと後だったか。OASYSに「通信」という項目があったのかな。うーん、うろ覚え。)、モデムもいくつだったっけ、240? 1200? 今から考えると信じられないくらい低い通信速度だったけど、文字だけだからそれで十分だった。
メールも基本的にはニフティの会員同士のみ。BIGLOBEの前身のPC-VANの会員とはメールのやりとりができなかったと思う。それができるようになって感激したのは、いつだったけ。
(調べればわかることだろうけど、なんだか今は回想だけで書きたい気分)。
あのころ、ADをコタツの上において、よくカチャカチャ打ったものだ。(もちろん、親指シフト(^_^))
演劇フォーラムで劇評書いたり、OASYSフォーラムで情報仕入れたり、そのほか、ROMったフォーラムはたくさんあった。
いろんな人たちと知り合えた。仲良しのメンバーでパティオを作ったり、チャットをしたり、オフ会にもいくつか参加した。もめることもあったが、ともかく、住んでる地域もバラバラで、仕事も年齢も性別も違う人たちと、一つのテーマを介してネットワークを作り、瞬時に連絡をとりあう、なんてことは、パソコン通信以前には難しかっただろう。
とくに、演劇フォーラムのオフ会には何度か参加した。
フォーラムの中ではハンドルネームなので、実際会ってみると、イメージどおりの人であったり、まったく違ってたり。会に遅れてきた人に、「誰が誰でしょう?」みたいなクイズをして大爆笑したものだ。
そうだ。『近代能楽集』連続公演(三島没後20年のときのね)を観劇してその後オフ会、という企画があり、そこに第三舞台の小須田康人さんが来られた。フォーラムではハンドルネームで参加されていたので、まさか小須田さんだとはみんな知らず、ご本人が現れてビックリしたことがあったっけ。
中島梓さんも、一時期、怒濤の勢いで書き込んでおられた。
OASYSフォーラムでは、何ていったっけな?一行メッセージみたいので呼びかける機能があって、ふぁいんさんがマメに声をかけてくださっていた。
そして、一人暮らし(通い婚)していた名古屋から広島に帰り、仕事がつんできたり、子どもが生れたりして、次第に読むだけで書き込むことが少なくなり、そしてフォーラムから遠ざかっていってしまった。
(もちろん、その後もときどきのぞいていたし、パソコンに乗り換えたとき・親指シフト・キーボードを使い始めたときなど、ニフティを通じて、色々な方に助けていただいた。私自身も何らかの手助けをしたり、情報を書き込んだこともある)。
ここ数年は、ネットの利用、また、勤務先のアドレスあてのメールをニフティに自動転送して自宅で読む、というのが主になっている。
あれから15年。
入会したときのIDは今も大切に使っている。(購入したOASYS30AFか、30AF3に添付されていたニフティの入会案内についていたものだ)。
あれから15年。
まったく昔の常識が通用しないほど通信環境は進化し、こうして書いていても、なんだか今浦島の気分。
でも、ブログという面白い媒体も手にいれた。まだまだ変化していく世界の片隅で、私も何かを発信していきたいと思う。
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