「モンスター」
映画「モンスター」を観る。
監督・脚本:パティ・ジェンキンス、 出演・制作:シャーリーズ・セロン〔アイリーン〕、 出演:クリスティーナ・リッチ〔セルビー〕、 ブルース・ダーン〔トーマス〕
見終わって、ずっと重い気分が続いている。
アメリカの女性連続殺人犯、アイリーン・ウォーノスの生の映画化ということだが、ウォーノスの生き方の背後にはジェンダーの問題が重くのしかかっているように思える。
幼時にはそれなりに夢があったアイリーンだが、おかれた家庭環境のため長ずるにしたがって、娼婦をするしか生活のすべがなくなる。自殺を考えたときにであったレズビアンのセルビーによって、生きる気力を取り戻す。先入主なしに自らを受け入れてくれるセルビーとの生活のために、アイリーンはふたたびヒッチハイクによる売春を行うが、ある日、客からすさまじい性的暴力を加えられ、半ば正当防衛で相手を銃殺し、金と車を奪う。そこから始まる転落。
セルビーは、アイリーンが何をしているのかわかっていても、自らの欲望を満たすために、彼女が娼婦をつづけ(あるいは、暗黙のうちに相手を殺して金や車を奪うことを)求める。食べ物を、車を、パーティーを、海岸の家を……。ひたすらアイリーンに奉仕・献身を要求するセルビー。寄生するセルビーをひたすら受けとめ、疲れた身体にムチうって身を売りに、そして強盗殺人に出かけるアイリーン。
自らは何もすることなく相手に要求するセルビーと、顎をひき、胸を突き出し、大きな身体で虚勢をはるアイリーンの姿は、よくある女と男の表象そのものだ。
アイリーンは、最底辺の娼婦として13歳から身を売り、男たちが自分に欲望しながらも蔑視すること、誰も(警官すら)自分を守ってくれるどころか最下層の何をしてもかまわないクズ・娼婦としてしか扱わないこと、周囲の軽蔑を強烈に感受し続ける。低い自尊感情しかもてないなかで、その要因となった男を見透かし、男性嫌悪の固まりとなるのだが、その自らがセルビーに対しては、自分が最も嫌悪している男と同じ態度を示すのだ。アイリーンはセルビーを、所有しているようで、その実、支配されてしまっている。そのように寄生してくる女性と対になろうとするとき、アイリーンの行動モデルは嫌悪しつづけた当の男性しかない。
と同時に、映画には、社会構造のヒズミも如実に現れている。カタギの仕事につきたいと思ったとき、アイリーンは自分にできる職業が何もない現実につきあたる。学歴のない彼女にはデスクワークなどできはしない。
(そうしたセックスワーカーの悲しみは、唐突なようだけど一葉の『にごりえ』にも描かれている。また、「華氏911」にもあったように、アメリカが強烈な階層社会でもあることも思い知らされる。)
八方塞がりのなか、アイリーンはセルビーとの生活を守るために殺人を犯し続ける。「女性との生活を守るために」というのも、男性犯罪のステレオタイプな理由だ。
こんなヤツは殺して当然だ、と理由付けしながら殺し続ける。だが、彼女が殺した相手には、彼女のウソの境遇に同情し援助しようとした男性もいた。妻がいる、孫が生れたばかりなのだ、という善良な男性の、自らが殺されるときの驚愕と苦しみ・絶望感はいかばかりだったか。アイリーンは、神に祈りながら、それでも撃つのだ。
男がみんな同じわけではない。だが、物語後半のアイリーンは、一人一人の男性を個別の存在としてみることなく、自らを蔑んできた男一般だと見なし(無理にも見なそうとし)、そうしてセルビーとの生活を守るために、引き金を引くのだ。
映画の最後、逮捕を覚悟して、セルビーを故郷に帰すアイリーン。刑務所に入ったアイリーンに対し、自白を引き出す捜査協力のために電話するセルビー。裁判でも、セルビーは、アイリーンに目をあわせることなく、彼女を指さし利己的にも証言する。泣き続けるアイリーン。
アイリーンの罪はもちろん罪で、(あんなに善人の男性も含めて、殺し続けたのだから)、だが、セルビーはこの後も無辜の生活を送り続けるのかと思うと、割り切れない。そして、なぜにこんなセルビーのために、アイリーンは転落していったのかを思うと、また切なくやりきれない。セルビーは、誰が見ても天女のような、といった女性とはほど遠い、ごくありふれた、少しばかりエキゾチックな表情をもっているだけの、客観的にみてまったく魅力にとぼしい、自己中心的な子どもな女の子にすぎないのだから。そんな女にいやされ、自己をかけざるをえなかったほど、それまでのアイリーンが極限までの絶望にあったということなのだ。
社会構造のひずみと、理想とあがめた女のために、自らが最も嫌った男性性を模倣せざるをえなかったジェンダー構造と。
あまりに不条理で、観終わったあとのドーンと重い気分は、なかなか消えてはくれない。
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