宮沢賢治劇場
島根県立島根女子短期大学の岩田英作さんが、第8回宮沢賢治劇場のビデオを送ってくださった。
「宮沢賢治劇場」というのは、島根女子短大国文専攻の授業科目のひとつ「近代文学演習」で、学生たちが賢治童話を演劇・人形劇・紙芝居・パネルシアター・ブラックシアター(蛍光塗料を塗った絵をブラックライトによって浮かび上がらせる劇)など につくりあげ、地域の子どもたちに観てもらうという実践活動である。
岩田さんは、「書を読もう、まちへも出よう」をスローガンに、とかく受け身の座学中心になりがちの国文学の授業に実践的な活動を取り入れている。2000年から始めて、もう4年目。1年に複数回上演することもあるので、今回が第8回の劇場だ。
昨年度の上演ビデオも見せていただいたことがあるのだが、ビデオの最後にメイキングも入っており、学生たちの成長していくさまが見て取れて、すぐれたドキュメンタリー映画のようで、見ているこちらもパワーをもらうとともに、教師魂を刺激されたのだった。
ちなみに、昨年度の宮沢賢治劇場の様子はこちら。2000年の第1回からの宮沢賢治劇場の歴史や、岩田先生へのインタビュー、制作準備の風景なども載せられている。
今年5月にあった実践報告の要旨に、岩田さんは次のように書かれていた。
公演時間は1時間、賢治の紹介に始まり、3つの劇とその合間の歌や指遊びで構成される。劇は、人形劇やパネルシアターなど、それぞれ趣向をかえるようにしている。本番までの大まかな流れは、作品の脚本化、道具づくり、稽古の順になる。その間、学生たちは班単位で動く。司会進行役、宣伝撮影班、3つの劇の班に分かれる。班の活動は班長がまとめ、さらに全体を統括するリーダーとサブ・リーダーがいる。自分は旗振り役で、円滑に組織が動くよう運営管理を行うが、学生が「やらされている」と思ってはこの取組みは失敗である。学生の主体性を尊重しつつ、かといって、もちろん放任にもできない。そのバランスに頭を悩ませている。
また、そうした実践活動を短大という入れ替わりが早くてなかなか継続できない場で行っているのがすごいことだと思う。私も昨年まで短大で勤務していて、たとえば演劇部とか文芸部などのサークル活動などでも、やる気のある学生があると1~2年間はなんとか活動できる。だが、その学年が卒業してしまうと、なかなか続かず休眠状態になることがしばしばあった。授業も同様で、うまくいった例がなかなか継続していかないのが短大なのだ。(その分、新規まき直しがきくという利点もあるけど)。
サイクルの短い短大において、強引にひっぱって作るのではなく、学生たちのやる気をひきおこさせ、次年度以降をにらみながら継続させていく岩田さんの力に脱帽だ。
で、本年度の賢治劇場。
3種類の劇と司会進行とがうまく連携できていた。進行役は、最初は賢治の紹介をしたり、幕間にはゲームや子どもたちに体を動かす遊びをさせ、最後は手作りのお土産をわたして、気持ちよく「さよなら」している。
お芝居は、人形劇の「蜘蛛となめくぢと狸」、ブラックシアター「貝の火」、劇「「セロ弾きのゴーシュ」。それぞれの劇の形態がうまく活かされていた。最初の二つは必ずしもハッピーではない話だが、子どもには気にならなかったようだ。一緒に見た小2の娘は、「ゴーシュ」が一番よかったと言っていたが、夏に読みきかせてやったことがあり、知っている話だったからかもしれない。
もちろん専門家ではないし、進行もなめらかでなかったり、絵がうまく見えなかったり、といったところはある。だが、少なくとも、自分たちだけがうちわうけして楽しんでいる、というところは皆無だ。(初年度が「やっただけで満足」になってしまい、観客の子どもたちの方を向いていなかった、ということへの痛烈な反省から、次年度以降の劇場が作られたという)。子どもたちに良質の芝居をみてほしい、というあたたかい気持ちが、素朴なお芝居や進行によく表れている。
今年は、公演1週間前に、学生二人が交通事故にあい(一方的に相手が悪い)、サブリーダーだった一人は参加できず、一人は主役のゴーシュだったのが裏方にまわらざるをえなかったという。そういったアクシデントをのりこえ、学生たちは彼女たちの分もがんばったということだった。
ファカルティ・ディベロップメントがさかんにいわれ、日本文学分野の教員たちも、それぞれ短大・大学等で工夫して授業を進めている。私もディベートを取り入れたり、文学散歩を行ったり、一般教育の文学などでは月に一度の俳句づくり(吟行・句会)を開いたりしたこともあった。しかし、それは授業を受けているメンバーの中での試みだった。
岩田さんの「宮沢賢治劇場」は、地域に開かれ、世代をこえた、国文学の授業だ。
公演後のアンケートを見せていただいても、毎回楽しみにしているという声が書かれている。まさに地域に根づいてきた活動である。そして、すでに、宮沢賢治劇場を見て、自分もやりたくて入学したという学生たちが在学しているということで、後継者たちも育ってきている。それがサークルとか課外の研究会などではなく、正規の授業で行われているということは、強調してもしたりないことだ。
アンケートによれば、もう現1年生は来年を期待しているようだ。岩田さんも、すでに次年度の構想に入っているのかもしれない。
「やめられなくなっちゃいました」と言っておられたが、宮沢賢治劇場の実践活動は、まだままたつづく。
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