『モナリザ・スマイル』観ました
ブログは初めてです。
とりあえずはとりとめなく、日々の思いを記録できたらなあと思っています。
どうぞ、ごゆるりと。。
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『モナリザ・スマイル』(マイク・ニューウェル監督、ジュリア・ロバーツ主演)を観る。(以下、ネタバレってわけじゃないけど、内容にも触れているので、観る前にあまり知りたくない、という方は読まない方がよいかも・・・)。
1953年、アメリカ東部の名門女子大に赴任してきた美術史の女性教員と学生たちの物語。まさにジェンダーを考えさせられる教科書のような映画。といって、もちろん固いわけじゃない。でも、いま現在にいたる歴史をつくづく思わされる。
ジュリア・ロバーツ演ずる女性教師が緊張しながら赴いた最初の授業。そこでの学生たちの強烈なこと! あんな学生相手に授業するのは、怖いだろうなあ。真剣勝負だよ。(でも、担当授業1コマなんだろうか? 現実的疑問・・)
そうした「頭のよい」女子学生たちが、人生の目標はエリートと結婚することだと信じて疑わない。
授業も、いわゆる学問と、夫の上司夫妻をディナー・パーティに招いたときの妻のふるまい方の講習とが、当然のように同居しているのだ。
卒業までに学生たちの半数が結婚し、(結婚前後は授業を休んでも公認扱いなのが慣習)、残りの大半もボーイフレンドからのプロポーズを待ち望み、卒業後数ヶ月で結婚!
ヒラリー・クリントンの自伝にヒントを得て製作された、ということだけど、時代の転換期の女子大って日本でも同じだよね。明治期に平塚明ことらいてうや、長沼(高村)智恵子があきたらず思っていた女子大の良妻賢母主義教育。戦後も、私が大学在学中はさすがに少なくなってたけど、在学中、あるいは卒業後すぐに結婚、家庭に入る、ってのはアリだったよな。別にそれでもいいんだけど、他に選択肢がないかのごとくというのがね。
そんな構造も気になるけど、この映画の面白さは、教師と学生一人一人が粒だって描けていること。
保守的な体制の中に新しさを持ち込もうとする女性教師キャサリンの恋愛。ルームシェアしている女性教師二人。そして、女は夫を立てながらコントロールすべきだという母に育てられ、在学中に結婚した優等生のベティは、プライドの高さと反面の他者を傷つけざるを得ない弱さを見せる。誰よりもキャサリンに憧れていたジョーンは、最終的には自分の考えでイェール大学法学部への進学をやめて結婚生活に入る。奔放なジゼルの聡明さ・やさしさと、臆病だったコニーの決断もいい。
歴史的に過去の女子大を舞台に、一人一人の教師・学生の生き方を描くという点では、唐突だけど、永井愛の戯曲『見よ、飛行機の高く飛べるを』(秋に井川遥主演で再演するらしい)を思い起こしてしまった。
あと、職を辞しヨーロッパに向かうために車でキャンパスを去るキャサリンを自転車で追いかける女子学生たち、、というラストシーンは、なんだか『シェーン』みたく(古いなあ)とてもよかった。一方で、保守的な女子大に新風を入れた女性教師が、結局は去っていくというんじゃ『坊つちやん』じゃないけどカッコよく見えて実は現実社会への敗北じゃない?などと思っていた。けど、帰宅してパンフレットを見てると、松浦弘明(美術史)の「幸せになるための第一歩」というコラムに、なるほどね、と思わされた。松浦は、あのラストは職場放棄ではなくて、自分にとって一番大切でありながら欠けていたこと、つまりシスティナ礼拝堂等の美術を写真などの複写ではなく現物で見ることの重要性に気付いたからなのだ、と解いている。最初の面接のときに長老たちに聞かれたことが、ここで生きてくるわけね。
ほかにも、ウェルズリー大学の講堂を初めとしたキャンパスの四季の美しさや、寮生活など、キリスト教系の女子大出身者としては、なんだか懐かしかった。脚本も演出も演技も映像も、よくできていた映画でした。(特製ビスコッティをもらったから言ってるわけではないのだ(^_^))。
・・・ということで、本日はここまで。
最初のブログで張り切ったわけじゃないけど、書いてるうちに思いがけず長文になっちまった。
次はこんなに書けないし、たぶん日常雑記になるでせう。
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