2日目は城崎から、久美浜を経て、天橋立へ。
久美浜行きは父の希望で。
父は岡山県北(勝田郡奈義町小坂)の出身ですが、江戸時代の一時期、美作は久美浜の配下になったことがあり、どのような町なのか一度訪ねてみたかったとのこと。
私は久美浜という町名も知りませんでした。いまは合併で京丹後市です。
その久美浜の稲葉本家が素晴らしいところでした。
歴史的な建物を背景に、見事なしだれ桜。
稲葉家は織田信長の家臣で、廻船業で巨額の富をえた豪商。その館を入場料も駐車料も無料で見学させてくださいます。写真もどうぞお撮りくださいとのこと。
(私、アホなことやってます。。)
2階から見えるお庭。
母屋ではちょうど数々の雛人形の公開中。
享保年間のお人形。気品のあるお顔です。
驚かされたのが、8畳間いっぱいに飾られた御殿雛。facebookによると、1日がかりで飾りつけるとか。
お雛さまで一間がつぶれるなんて、庶民には考えられない~~。
そして、稲葉家の歴史の展示室に心打たれました。
13代目の息子さんたち、稲葉束・喬の兄弟についての資料でした。
弟の喬さんは、広島高等学校(今の広島大学の教養課程に相当)のあと、東京帝大へ。
兄の束さんは、早稲田へ。
二人の子ども時代の家族写真、卒業証書や在学中のクラブや課外活動の写真(山中湖でのスケート、富士山登山)、束さんの結婚式の写真や披露宴の招待状などが展示。
そして二人それぞれが応召出征。
日の丸への寄せ書き。戦時下、稲葉家に備えられた鉄カブトや防毒マスクも展示されています。
最後に二人それぞれの死亡告知書と勲章。
弟の喬さんは、「死の行進」と呼ばれたインパール作戦に従事し、昭和19年6月13日、ビルマで死亡。
兄の束さんは、昭和20年4月19日、米軍の砲撃により、沖縄県西原・我如古(現在の浦添市・宜野湾市)で死亡。戦死の公報は昭和21年になってから届いています。
幸福だった子ども時代、学生時代を見ているだけに、戦争によって突如断ち切られた命の重さと、たった一枚の紙切れで戦死が知らされる酷さ、死後に勲章なんぞ贈られる虚しさを感じさせられました。
家の歴史の展示に兄弟の死を取り上げたところに、稲葉家の方々の癒えぬ深い悲しみと、戦争への抗議・見識が伺われます。
さて、稲葉本家では久美浜の物産も販売されていました。
美味しそうなぼた餅もあって、強烈に心惹かれましたが、おやつには早い時間でパス。ところが帰宅後に口コミを見たら絶品だそう。買っておけばよかった・・。
お土産に購入した丹波黒豆の煎り豆・ざらめ味のが、あとをひく美味しさ。
ここの方々、商売気はまったくなく、心から来客をもてなす感じ。ご親切に色々と声をかけてくださいました。
久美浜、よいところですね。
久美浜から、丹後峰山の金刀比羅神社にも立ち寄り。
狛犬ならぬ、狛猫!
天橋立については、日本三景として厳島との対比など気になりますが、とりあえず行った記録のみ。(色調が違うのは、2日目が曇天、3日目が晴天だったため)。
やっぱり行ってよかった。
2日目の昼食は、網野・とり松のばらずし。鯖そぼろの甘みが美味でした。
3日目は天橋立から舞鶴へ行き、「金閣寺」の舞台ともなった金剛院を訪ねたのですが、明日から新年度。果してつづきを書く時間があるか??
年度末恒例の旅行をしてきました。
今年は、父の希望で、城崎温泉と天橋立へ。
私もこの歳になるまで行ったことがなく、楽しめました。
1日目 城崎温泉
城崎は、外湯がメインの情緒ある温泉街。
旅館に泊まると、7カ所ある外湯に何度でも入れるカードを渡され、それを持って浴衣で出かけます。カランコロンと下駄の音がして、よい感じ。
写真は、城崎の中心にある一の湯で、朝湯があくのを待っている人たち。
日中や夜の城崎の風情もよかったけど、朝湯のあとの清しさは格別。
で、城崎といえば、やっぱり志賀直哉の「城崎にて」。
娘の教科書には載っていなくて、読んだこともないとのことだったので、出発前、夕食後に3日かけて朗読して予習しておきました。(私が「城崎にて」、娘が「小僧の神様」を朗読)。
直哉が泊まった三木屋。この玄関屋根に蜂の死骸があったのでしょうか。。
直哉のほか、藤村や与謝野晶子ら、城崎を訪れた文人たちに関する展示がありましたが、作家の写真パネルのほかは、書や本の展示のみで解説があまりなく、ちょっと残念。
花袋も城崎に来ていたようですが、同じく温泉好きだった永代美知代・静雄夫妻は城崎に滞在したことはあったのだろうか? 静雄は兵庫県出身だし、可能性はあるかも。
文芸館の書籍販売コーナーには、《NHK大河ドラマの主人公「新島八重」の最初の夫は出石出身!!》のコピーとともに、『川崎尚之助と八重』という本も置かれていました。
いかにも出来たばかり!という風情の本に、娘曰く、「早く出さなきゃ、死んじゃうもんね」。。
文芸館とセット券で入れる麦わら細工伝承館が、匠の技を紹介していて、意外に楽しめました。
もとは江戸時代に湯治客が宿代の足しに始めたらしい麦わら細工。驚くほど緻密な細工物です。
さてさて、旅の楽しみは、食べ物!
お昼は出石の皿そば。一人前5皿だけど、店内のほとんどの人がおかわり。皿が積まれます。
夕飯は蟹!
蟹刺し、茹で蟹、焼き蟹、蟹鮨、蟹すきと雑炊・・・。タグ付き、なんて高級品ではなかったけど、美味でした。数年分を食べたかも。。
で、湯上がりのお楽しみは、温泉プリンとブリュレ!
旅はつづきます。
●日時 2013年3月16日(土)18時~
●場所 横浜みなとみらいホール大ホール
●出演 デーモン閣下(朗読・歌唱)・松田美由紀(朗読)・ホリ・ヒロシ(人形舞)・三橋貴風ほか(尺八)・外山香ほか(二十絃箏)・黒船バンド(松崎雄一(編曲・キーボード)・雷電湯澤(ドラムス)・石川俊介(ベース))三島由紀夫の生き様を大変興味深く思っているデーモン閣下が初めてステージで三島由紀夫作品を朗読します。邦楽使いの達魔(たつじん)デーモン閣下と尺八奏者三橋貴風が鮮やかに三島の美を奏で、尺八と箏による大合奏が情緒を描き、ゲストの女優松田美由紀と人形舞ホリ・ヒロシが華を添えます。アートとエンターテインメントの絶妙なバランスのうえに、ロックスピリットが跳ぶ、異次元のCollaborationをお楽しみください。
※上演作品は当日発表となります。
いったいどんな内容なのか?・・・チラシを見てもまったく謎の、デーモン閣下×三島由紀夫イベントに行ってみました。
チケットを取ったのがギリギリだったので席はかなり後方でしたが、舞台後方に大型スクリーンも設置されてて、よ~く見えました。
開演前に、デーモン閣下の声で、出演者や尺八・箏についても詳しく楽しく紹介され、かなり長めのMCで盛り上げてくれます。デーモン閣下と三橋貴風による邦楽維新が始まって今年が14年目。今回は、大ホール進出、複数による朗読、人形の加入、三島由紀夫と新しい試みがなされ、今日は古典より現代邦楽の名曲が流れるとのこと。
今回の朗読作品については、「昭和39年頃が舞台の作品」だと前説で「プチヒント」。
・・・ということは、「午後の曳航」だ! ご当地・横浜が舞台だしね。
(「午後の曳航」は昭和38年発表の作品なのに、なぜ39年と言ったのかは、後で明らかに)。
公式ページに、現在は当日の演目や曲目がアップされてますが、当日までは、「三島由紀夫の作品群の中から、今回どの名作を取り上げるのか、当日のお楽しみです」と謎めかしてあって、三島作品のオムニバスかな?とか、尺八なら「金閣寺」かな?などと想像してた。
「午後の曳航」だったとは。
邦楽のイメージで目くらましされてたけど、よいチョイス。元町、中華街、マリンタワー、横浜港、……会場を一歩出れば、作品で登場する場所がすぐですものね。。
(ちなみに、房子が経営している「舶来用品店レックス」のモデルは、元町の「ポピー」。
以前の記事にチラっと写真を載っけてます。別の「午後の曳航」ネタも。)
さて、いよいよ、開演。
三橋貴風の尺八が一曲演奏されたあと、閣下がおもむろに「三島由紀夫作 「午後の曳航」 第一部 夏」とアナウンス。
舞台上手に尺八が4人、下手に箏が5人、中央奥に黒船バンド(キーボード、ドラム、ベース)。そして、中央手前に、閣下と松田美由紀が椅子に座ってスタンバイ。
ここからは、本当に朗読が始まりました。
おやすみ、
を言うと、母は登の部屋のドアに外側から鍵をかけた。火事でも起こったらどうするつもりだろう。もちろんそのときは一等先にこのドアをあけると母は誓っているけれど。……
・・・という感じ。
(ジェンダーで色分けするのもいかがかとは思うけど、でも、男声と女声がこんな色のイメージだった)。
デーモンが船員の竜二、少年・登と首領、さらに地の文章も。松田美由紀が登の母・房子。
登・首領・竜二が会話する箇所などでは松田美由紀が地の文章を担当するところもあるけど、大部分の箇所を朗読するのはデーモン。
最初の松田美由紀の「おやすみ」の一声だけの余韻がただようなか、デーモンの男声がつづいていく感じが絶妙。
声色を使い分けて、デーモンの朗読が実にうまい! 冷めた、あるいは無邪気を装う少年たちの声、なかんずく登と首領を使い分けるのに驚き。
作品の内容に合わせて、音楽も変幻自在。
冒頭は、横浜の雰囲気で、ジャズ。尺八や箏でグレン・ミラーでっせ。
少年の心を描くときには、邦楽の不思議な響きが。
BGMとしてばかりではなく、ミュージカルのごとく、時に歌も入る。
竜二が航海に出る前夜、房子との涙の別れの場面では、「わたし祈ってます」を熱唱。
これがまた、うまい。……で、歌い終わったあと、デーモンがボソッと「うますぎる」と自賛。
(こんなふうに、ところどころ、ボソッとつぶやくところが笑える)。
人形舞のホリ・ヒロシは、真っ白い衣裳をつけた少年の人形をもって、3カ所ぐらいで登場。
猫の解体で人形を使うのは、昨年見た蜷川版の「海辺のカフカ」と趣向が似ていたかも。
ビジュアル面で、舞台に彩りを添えてました。(音楽は黒猫のタンゴ)。
休憩のあと、「第二部 冬」。
大尾で、登が渡す(睡眠薬入りの)紅茶を竜二が飲んだところで、スクリーンの画面がぼけて、くっくりして、ぼけて、・・・そして消える。
竜二の意識を表しているのか。
音楽は、「さよなら」(♪もう終りだね、君が小さく見える、・・・さよなら、さよなら、・・・)。
・・・なんか、もうね、とってもよくできてました。
まったく先入観なしに見たけど、デーモンの朗読力、演技力、歌唱力がすさまじくて感嘆したし、1回きりの舞台を楽しみながらも傾注して作っていることがとても伝わってきた。
三島由紀夫の朗読がうまくて、引きつけられて、楽しい!
なにより、邦楽の概念が覆されました。こんなに豊かに種々の曲が奏でられ、心情表現ができるのだと。(恥ずかしながら、歌舞伎や文楽など以外だと、お正月のラジオ番組ぐらいでしか聴く機会がない)。
それに三島作品の大衆的な部分もよく見えてきた(「わたし祈ってます」の選曲がとにかく絶妙、それに、竜二と房子が泣く場面が多いことも改めて気づかされた)。
作品内に米軍の記述が多いことも。(三島作品のなかのアメリカ表象、やはり気になる)。
(そういえば、私、いままで忘れてたけど、学部の卒論では「午後の曳航」を扱ったのでした。「美しい星」・「午後の曳航」・「豊饒の海」のラインナップ。他の2作品では論文を書いたけど、「午後の曳航」はまだだ~。何か書けるかな?)
午後の曳航 (新潮文庫) 三島 由紀夫 新潮社 1968-07-17 |
さて、ここまでで、休憩20分を挟んで3時間弱。朗読が終わった舞台では、出演者紹介のあと、松田美由紀とホリ・ヒロシが退場。
デーモンがふつうに一曲歌ってから、デーモン閣下と三橋貴風によるトーク。(〔※ 〕は私の感想です。。)
・デーモン:最後は、え、これで終わり?と思っただろう。睡眠薬を飲んで眠らされたところで、作品は終わる。三島はこれ以上は書いてないのだ。このあとどうなったか、あとは想像するしかない。
〔※実際には、三島は、結末の「誰も知るように、栄光の味は苦い」の続きを書いており、それを読ませてもらったことを、堂本正樹が回想している(『回想 回転扉の三島由紀夫』p.70)。
「 この後が七、八枚あったのである。猫の解剖に照応して、手術用のゴム手袋を嵌めた少年たちは、竜二の灰色の徳利のセーターを剥がし、英雄の全裸を解剖する。
この部分を思い切って削除したため、作品は余韻を生み、構成はより引き締まった。三島文学の中でも、傑作と読んで差し支えない出来となった。しかし、『仮面の告白』の大皿に乗せられた美少年の裸体にナイフを入れる夢想を引き継いだ、この逞しい海の男の解剖も、独立した散文詩として保存して置きたかった気もする。」
……その解剖シーンの内容については、堂本本をお読みくださいませ。〕
・デーモン:戦後の横浜は米軍に接収されていた。基地問題では、いまの沖縄のようだった。接収が解消されたのが、竜二が20歳ぐらいの昭和25年10月で、現在、竜二は34歳なので、作品の現在は昭和39年だと判定できる。
〔※このあたり、要調査。とりあえず、横浜市のページ〕。・「午後の曳航」を提案したのは、三橋だった。
三橋:昨年までの小ホールから、今回は大ホールに進出することもあって、地元の横浜を舞台にした作品にしたかった。・デーモン:今回はとにかく朗読原稿を作るのが大変だった。
まず文庫本を読んでも読んでも終わらない。そして作品をすべてWordファイルにするのが大変だった。〔※そのファイル、私、欲しい!〕
それを削ってダイジェスト版を作るのに、また苦労。これまでの作品は9000字。今回はがんばって削っても36000字にしかならない。で、2部構成にすることにしたが、それでも多すぎる。そこで、それまでタッチしていなかった三橋が適当に削ったが、「え、そこ削るの?」というところは、後でこっそりデーモンが復活させた。・デーモン:なぜダイジェスト版を作るのが大変だったか。
三島由紀夫の文章は、同じ内容を比喩を変えながら何回も繰り返すのが特徴。それを削ってしまうと、三島らしくなくなる。
ストーリーを追うだけでは単なる猟奇的な物語になってしまう。三島らしさを残しながら、ストーリーが展開するように削るのに、苦労した。
・・・と、三島らしさとは何かをめぐる、面白いトークでした。
朗読用のダイジェスト版をデーモン本人が作っていたことにも感心。あの卓越した朗読は、そうやって読み込み、作り込んでいたからこそなのだと納得しました。
配布物のなかに「デーモン閣下の邦楽維新Collaborationの系譜」という一覧表も。
2000年の「山月記」(中島敦)を皮切りに、谷崎、芥川、古典作品などを各地のホールで開催してきたみたいだ。
なかでも、「春琴抄」は10回以上上演されている。
息長く活動してるのね。
〔→東京新聞 2013.3.10「デーモン閣下が「三島」朗読 尺八の三橋貴風らと競演」 〕
今回の「午後の曳航」もよかったし、「金閣寺」も絶対うまくいく気がする。
デーモン閣下には、ぜひ他の三島作品もレパートリーに加えてほしいし、ツアーもしてほしいなあ。。
プロフィールに「広島県がん検診啓発キャラクター」と載せているのにも好感度アップ。
それにしても、私がデーモンのイベントに行くなんて、思いがけなかったわ。人生、何が起こるかわからない。。
昨年の宝塚(春の雪)といい、三島を軸に、面白いものが新規開拓できて、楽しきかな。
※3月20日(水・祝)早朝、デーモン閣下@広島の番組が放映されるようです。
「ホリデーインタビュー 広島からもらった我が輩の“役割” ~アーティスト デーモン閣下~」
明けましておめでとうございます!
昨年は、このブログ、ほとんど更新できませんでしたが、今年は、もう少し気軽に書きたいなと思っております。
皆さまのご健康とご多幸をお祈りいたしますとともに、本年も、どうぞよろしくお願い申しあげます。
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
さて、今日、日本近代文学がご専門で、神戸女学院大学教員の飯田祐子さんが、ご自身のお書きになった「『蒲団』の岡田美知代と『或る女』の佐々城信子-神戸女学院での出会い-」が掲載された『神戸女学院 学報』166(2012.12.11)を送ってくださいました。
国木田独歩の最初の妻で、有島武郎『或る女』の葉子のモデルの佐々城信子が、わずか3カ月の短い期間ではあるものの、神戸女学院に在籍していたことのご報告と、それがわかったときの驚きが書かれたものです。
飯田さんは、実に文章がうまい!
拝読しながら、昨年のちょうど今頃の時期に、「記録がありました!」と飯田さんがメールをくださったときのことを、まざまざと思い出しました。
そのころ私は岡田(永代)美知代の生前未発表原稿「国木田独歩のおのぶさん」を翻字中でした。そのなかに、神戸女学院に入学したばかりの美知代が、同じく神戸女学院に在籍していた年長の信子を憧れ見ていたことが書かれていたのです。
美知代の晩年の作品で、信子をめぐるあまりにも荒唐無稽な内容も含まれた記述に半信半疑ながら、それでももしかしたら本当かもしれないと、飯田さんにメールでお尋ねしたところ、飯田さんが同学の史料室に調査を依頼してくださいました。
そして、数日とたたないうちに、飯田さんから、ビックリマーク付きのメールが届きました。
当時の在学生名簿の明治31年9月入学生の欄、「岡田ミチヨ」の2行後に「佐々城信」の名前が記載されていたというのです。
『蒲団』の岡田美知代と『或る女』の佐々城信子。
日本近代文学史上画期をなす作品のモデルとされたことで数奇な人生を歩まざるをえなかった二人の〈新しい女〉が、同時期に神戸女学院に在籍し邂逅していたなんて!
・・・これまで知られていなかった事実に、飯田さんと二人、おおいに興奮したのでした。
その名簿のコピーは送っていただきましたが、私も自分の目で確認したくて、また他にも知りたいこともたくさんあり、すぐに相互閲覧の手続きをとって、神戸女学院の美しいキャンパスを初めて訪問しました。
昭和初期に現在の岡田山に移転したため、美知代と信子が通っていた神戸市内のキャンパスではありませんでしたが、それでも十分に学校の雰囲気はわかりました。史料室や図書館の方々には懇切に便宜をはかっていただき、飯田さんも、忙しい授業のあいまを縫って、図書館まで会いに来てくださいました。
こうして神戸女学院でいただいた資料も使って翻刻した永代美知代「国木田独歩のおのぶさん」はpdfで読んでいただけます。→●
『神戸女学院学報』のページ→●
(飯田さんの文章が掲載された最新号はまだ出ていませんが、もうすぐ公開されるのではないでしょうか。)
美知代と信子が神戸女学院に在籍していた時からもう百年以上経ってはいますが、同窓生にも送られる学報に飯田さんの記事が掲載されたことで、また何か新しいことがわかるとよいな、と、わくわくしながら願っています。
劇団SCOT「シンデレラからサド侯爵夫人へ」
@吉祥寺シアター
2012年12月8日~24日
構成・演出 鈴木忠志
グリム原作・三島由紀夫作
「サド侯爵夫人」目当てに行って来ました。
以前、静岡県舞台芸術センターでのSCOTの「サド侯爵夫人」(第2幕)が高評だったのに見られなくて悔しかったので。。
「サド侯爵夫人」は、役者たちの発声がすごい。ああ、これがスズキ・トレーニング・メソッドによる芝居なのね、という感じ。
全体に低く、すごみのある声で、何よりも三島のあの大量のセリフを完全に我が物にしている。
このような発声で三島演劇を語るのを前にも聞いたことがある。三条会の大川さんと、今年の春の野村萬斎演出の「サド侯爵夫人」でモントルイユ夫人を演じた白石加代子。(白石は当然か、とも思うけど、もう少し遊び心のある発声だった)。
それらは、単独の役者だったけど、今回のは、ルネ、アンヌ、モントルイユ、サン・フォンの女性たち皆がすべて同じ発声法。なんともすさまじい。。
芝居自体は、前半が「シンデレラ」、後半が「サド侯爵夫人」(第2幕)の二作品を、劇団の芝居の稽古という設定でくっつけて上演。
「シンデレラ」の方が、枠の入れ子が強くて、現実に演じている役者だと見なされる人物(夏子)-劇中で「シンデレラ」の戯曲を書いているとされる人物(夏子)-劇中のシンデレラの3重の構造に仕立てている。
舞台上手のスペースでシンデレラの劇は進行するが、
常に下手に演出家などスタッフの役の者たちが控えていて、ときどき演出をしてみせたり、舞台転換などを担当する。メタ演劇というか、異化するわけですな。
全体にコミカルに作ろうとしていて、客席からも笑いが起きていたけど、私はあまり笑えなかったかな。
「サド」の方も、芝居の稽古と劇の設定は同様で、ただ、こちらの方は長ゼリフの応酬の間は、スタッフたちはじっと座っているだけで、ちと気の毒。
それに、女性ばかりが舞台にいるはずの「サド」が、男性演出家によって支配される構図はいかがなものか、とも。
「サド」の芝居が終わったあと、演出家は「三島さんも難しいことを書くなあ・・」なんて言って笑わせてはいたけど。
「サド」の音楽は、美空ひばり。舞台は畳ばり。そこを摺り足で歩く役者たち。
とにかくうまくて、今回の変化球も面白いけど、次回は直球版の「サド侯爵夫人」をぜひ拝見したいと思いました。
まだ57歳とか。早すぎます。
三島由紀夫では、「鰯売恋曳網」の愛嬌ある芝居が忘れられません。
コクーン歌舞伎とか、野田歌舞伎とか、新しいことにも積極的で、魅せられました。
真悪人をやっても愛嬌があるところが魅力でした。
ご冥福をお祈りします。
・2012年9月22日(土)19:30-、23日(日)13:00-/18:30-
・広島市東区民文化センター スタジオ
・一般 2000円 / 学生 1000円
・原作
三島由紀夫「近代能楽集」
・構成・演出
美術
鳴海康平
・出演
佐直由佳子、木母千尋、小菅紘史、菊原真結、米谷よう子、伊吹卓光、仲谷智邦、石井萠水
・アフタートーク 鳴海康平×岩崎紀恵
東区民文化センターweb
第七劇場web
せっかく広島で三島作品が見られるので、初日と2日目マチネの2回を見に行きました。
第七劇場の舞台を拝見するのは初めて。
2006年から取り組まれて定評のある「班女」と、新作「邯鄲」の組み合わせです。
『近代能楽集』は三島由紀夫の代表的な戯曲の一つですが、「サド侯爵夫人」や「鹿鳴館」などのある程度上演形態が決まってしまう作品と異なり、能が原曲だということも大きいのでしょう、どのような演出も許容するような変幻自在さ・底無しの可能性を秘めた作品群です。
上演があるたび、戯曲のどんな側面を掘り出してくれるのか楽しみに劇場に向いますが、このたびの第七劇場公演は、これまでの三島舞台にないトーンでの上演でした。
「邯鄲」の上映時間が55分、転換のための5分の休憩をはさんで、「班女」が30分弱。
一般的な『近代能楽集』各作品の上映時間は40~50分といったところですから(「邯鄲」は他作品に比べてやや長め)、かなりスピード感のある上演だと言えましょう。
狭いスタジオ公演、抑えた照明、モノトーンで無機的な装置、電子音も使った音楽、シンプルな衣裳、パフォーマンス・アートな雰囲気の演技、抑揚を抑えた異化的で早口なセリフ。
いわば《モダニズム近代能楽集》・《アバンギャルド近代能楽集》ですね。
そうした試みがより面白く感じられたのは、何度も上演されているという「班女」よりも、むしろ新作「邯鄲」のように思えました。
〈以下、ネタバレあります。〉
「邯鄲」
──自分の人生は終わったと悟りきった青年・次郎が、かつて乳母だった菊が住まう田舎を十年ぶりに訪ねて、菊の持つ邯鄲の枕で眠る。次郎は精霊たちの見せる栄耀栄華の夢をすべて拒否して、「生きたい」と決意し、夢から覚める。すると菊の夫が出ていってから咲くことのなかった庭の花々が一度に咲きほこる。──
舞台上手に机と丸イス、下手に椅子が一つ。机上には積木。
何度も暗転を繰り返し、次郎と菊の二人が対話する冒頭の現実の場面から精霊たち(仮面はつけない)が消えては現れる。
邯鄲の枕による夢の場面では、妻を肉体としての女性と声だけの3人とに分化させ、抱く→倒す→引きずる→抱き起こす動作が繰り返され、日常生活が夢幻的に表現される。
次郎役の小菅紘史と菊役の木母千尋が存在感があり、セリフも実にうまい。金や電話などとして多義的に利用される積木の扱いが楽しい。
次郎の夢のはずなのに、なぜか菊が眠りにつき、次郎の夢の中でも積木を扱っているところなど、よくわからない部分もあったし、初日のためかセリフにつまる役者が散見されたものの、全体として面白い舞台でした。
終演後に演出の鳴海さんとお話させていただき、いろいろとわからなかった部分の意図を伺うことができました。
菊の眠り。あれは、死者に呼びかけていたのだとのこと。
つまり次郎は亡くなっており(→フクシマや震災の死者たちの総体を表し)、菊は死者を悼む親しい者・母的な者の総体であるとのこと。
う~む、なるほど。。
そういえば、冒頭も、まず菊が一人でセリフを語り、暗転の後に次郎が現れて菊が同じセリフを今度は次郎と対話していましたが、死者を識閾下で呼び出したということでしょうか。電子音も病棟の心電図の音のようでもありました。
同じ『近代能楽集』の「葵上」のような霊的な世界や、川端康成の「抒情歌」などに近い世界ですね。
また「班女」「邯鄲」の2作の共通テーマが「待つ」ことだと演出ノートに記しておられ、「班女」はともかく、「邯鄲」で「待つ」とは?と不思議だったのですが、死者を悼み召還することであるとすればよく理解できます。
鳴海さんは、3・11以後、どのように演劇を作っていくか、自分のなかで変わらざるをえなかったと話しておられました。
観客がこうした意図をどれだけ汲むことができたかはわかりませんが、私自身は、こうした『近代能楽集』の大胆な読み替えに意表をつかれ、三島戯曲の新しい解釈として新鮮に感じました。
一方の「班女」。
──扇をとりかわした恋人が現れるのを待ち続ける狂女・花子。花子を「狂気の宝石」だと見なして愛し、共に暮らす中年の画家の実子。二人の前に吉雄が現れるが、花子は彼を本物の吉雄ではないと拒否して、吉雄は去る。花子はこれからも吉雄を待ち続けると述べ、「待つ」花子と「待たない」実子の二人の「すばらしい人生」がはじまる。──
舞台の横一列に3カ所、床に小さなオブジェ(左と中が小石、右が葉付きの枝)、それぞれ上から照明が下ろされる。3人の人物の深層を表している?
とくに花子のセリフが抑揚なく早口。観客にひっかかりをおぼえさせないかのごとく、各場の間もなく、舞台はするすると進行する。
実子が新聞紙を切り裂き、それを花子が雪に見立てる場面はなく、実子がばらまくのは絵の具。実子は赤い絵の具を白い床に絞り、掌で塗りたくり、それを自分の腕や服、頭にこすりつける。
なんともシュール。実子のエキセントリックな要素、あるいは心の傷を表現しているのか?
また、不思議だったのは、舞台の最後に吉雄が退場しないこと。
冒頭の実子の一人語りの場面で、すでに吉雄が舞台後方を通過する。これは、実子と花子の二人の世界に彼が影をさしていることの表現として、とてもうまい演出だと思う。
だが、結末は、ずっと影を落としていた吉雄が敗北し退場して、実子と花子の二人だけの幸福な世界に結実させなくてはいけないのではないか?
花子「私は待つ」
実子「私は何も待たない」
花子「私は待つ。……こうして今日も日が暮れるのね」
実子「(目をかがやかせて)すばらしい人生!」
ところが戯曲とは違って、幕切れの実子は少しも楽しそうではない。
吉雄が舞台上にとどまることとあいまって、最終的にもまだ二人の世界にはなりきっていないという解釈なのだろうか? だとするとなぜ?
・・・正直なところ、「班女」の舞台は、頭に疑問符を浮かべつつ見ていました。
実子の絵の具について。
アフタートークの鳴海さんの説明によれば、吉雄の経済性や現実性に対して、実子は芸術家としての三島と重ねられているとのこと。
(実子=三島だとすれば、赤は三島の死のイメージなのだろうか?)
また、上演後にお話したところでは、結末に吉雄が退場しなかったのは、待つ対象を消すことなく、花子の「待つ」姿勢を純粋なものにしたかったからだとのこと。
実子の最後の語りも、けっして吉雄がいなくなってハッピー!というイメージにはしたくなかったと話しておられました。
・・・でもやはり、違和感は残ります。ただ私自身に、かくあるべしという「班女」像が固着しているのかもしれません。戯曲を再読してみようと思います。
アフタートークでも色々な話題が出ましたが、鳴海さんが語る「班女」演出の変遷が面白かったです。
「葵上」はある程度行き着くところまでいった感があるが、「班女」は上演を繰り返すたびに発展し見えてくるものがあるとのこと。
以前の「班女」演出は、師事していた鈴木忠志さんの影響もあって、和服や白塗りなど様式的な〈和〉の世界で作っていた。しかし、海外上演が重なるにつれてオリエンタルな見せ方が安易に感じられて排するようになり、モダンな舞台に転じたところで赤い絵の具を使った演出を着想したとのことでした。
今回の舞台、私自身は「班女」の解釈には違和を感じるところもありましたが、観劇後に種々の思いがわきおこり、人と話したくなる、そんな実験的な舞台でした。
鳴海さんは、まだ32歳とのこと。これからますます期待できる演劇人ですね。
※12月に「三島ル。」公演。
愛知・三重で、第七劇場とshelfの2劇団による『近代能楽集』の公演があるようです。
・長久手市文化の家 12月1日・2日・・「班女」(第七劇場)・「弱法師」(shelf)
・三重県文化会館 12月8日・9日・・「班女」(shelf)・「邯鄲」(第七劇場)
神田香織師匠の講演&講談を拝聴してきました(於・東区民文化センタースタジオ)。
うーん、講談の力はすごい。
故郷・福島のこと、講談師になったきっかけや、代表作「はだしのゲン」との出会い、DV被害のことなどを、笑いと怒りと泣きとが軽妙にリズムよく語られる。
あいまに消防士夫妻の悲劇を語る「チェルノブイリの祈り」と、横浜の米軍ジェット機墜落事件の被害者母子の死を語る「哀しみの母子像」のさわりを。
理不尽なものは許さないという気持ち、放射能への怒り、「講談は庶民の怒りの表現」・「虐げられた側から語る」という気概が伝わってきました。
講談も浄瑠璃・歌舞伎も、いまの古典も当時は新作。いちはやく話題の事件を台本化して舞台にあげていたのだ。
最後に和歌山カレー事件を扱った講談「シルエット・ロマンスを聞きながら」。
先日、映画「死刑弁護人」を見ていなかったら理解できなかったかもしれないと思いつつ、胸を打たれました。
講談は演者が一人で、ハリセンでリズムをとりつつ言葉のみで伝えていく。落語もそうだけど、なんともすがすがしい芸。
恥ずかしながら講談を生で見るのは2回目。
最初はもう10年以上前、前任校の公開講座で国語科が担当になり、「虚構」を統一テーマに実施。専任教員が数回担当したあと、ゲストとして同僚の大学時代の同級生だった上方講談の旭堂南海師匠に来ていただいて、講談のイロハとともに太閤物を演じていただいた。
今日はそれ以来。
神田香織師匠のお話だと、いまや講談師は男性より女性の方が多いのだとか。。
師匠によれば、原則としてオチやサゲをつける落語と比べて、講談は女性に向いているのでは、とのこと。
サインしていただいたご本にも、講談には話芸のエキスが盛りだくさんで、「あなたがもし教師か政治家だとしたら、話すのが仕事なんですから、ぜひとも活用していただきたいです。例えば、張り扇を使うのはどうですか。パーンと机を一叩きすると、居眠りしていても目がさめるはず」だって。
ハリセンで授業。・・・いいかも。。
『黄霊芝小説選―戦後台湾の日本語文学』
(黄 霊芝 著/下岡 友加 編 、溪水社、2012年6月)
台湾には、日本の皇民化政策により日本語を身につけた世代がある。
日本が戦争に敗れたあと、国民党政権によって公用語は中国語に変わり、日本語の使用は禁じられた。
だが、一群の人々は、自らのアイデンティティとして、戦後も日本語を使って小説・短歌・俳句などの創作を続けた。
本書は、現在も日本語で小説を書いている台湾人作家・黄霊芝の著作集であり、精撰された10編の小説、本書のための書き下ろし評論1作、年譜、下岡友加氏による解説によって構成されている。
男の子の出産が周囲から切望され、養子・養女に迎えられ出されることによる心的なドラマを女性の一人称で語る「「金」の家」。
農地改革で土地を失った地主が無謀にも養豚に手をだす顛末を独特のユーモアとペーソスで語る「豚」。
台湾・日本・中国の三者が絡み合う歴史的な二・二八事件とそこにいたる前史を背景として、日本人でありながら台湾人として処刑された男の悲劇を描く傑作「董さん」。
みずみずしい恋情を優れた技量の短歌の連作によって表現した短歌小説「蟇の恋」。
・・・収録された小説の主題も手法もさまざまだが、いずれも1940~60年代の激動の台湾を舞台に、強い洞察力と文体と新鮮さとで読み手をそらすことがない。
書き下ろしの「違うんだよ、君-私の日文文芸」は、黄霊芝が日本語を手放さない(手放せない)事情が語られ、日本の読者への何よりの自解となっている。
下岡氏も、自国に多くの読者を期待できないデメリットを引き受けつつ、なお日本語を手放さず、かつ別の言語でも書き続けている作家・黄霊芝の活動を、ゆきとどいた筆で解説している。
下岡氏によれば、台湾文学研究の世界では「日本語で書かれたものは台湾文学ではない」と見なされ、日本文学研究の世界では「読むこと自体ができないので、評価できない」と言われる。境界上でいずれからも拾い上げられない現状を、小説選の刊行によって少しでも改善したいとのこと。
本書の公刊によって環境は整った。
日本語で書かれた台湾文学・黄霊芝作品の、日本における普及と研究の進展を期待したい。
若松孝二監督の映画「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」。
広島上映は7月7日からなので、出張先で見てきた。
この映画には、「書く人」としての三島由紀夫は登場しない。
三島由紀夫といえば、小説家、劇作家にして、演出家。写真集の被写体になり、映画や演劇に出演し、主題歌まで歌った。社交的で座談の名手で、英語でスピーチ。歌舞伎や能を愛好し、一方で流行を知悉し、アングラな芸術家とも交流が深く、独自の美学やエロスも追求した。
三島由紀夫の魅力は、ニヒリストであり、かつ真摯な行動者であり、突き動かされるようなパッションと天才的なストーリーテラーと、人生を舞台だと見なして己を操るなど、豊かな多面性にあり、その三島があのような最期を迎えたからこそ、人々はたいへんな衝撃を受けたのだ。
ところが、この映画の三島由紀夫には多面的世界は全くない。
1966年から1970年の最後の蹶起に向かって、ただひたすら突き進む三島と、彼をとりまく若者たちが描かれるのみ。
実際には、三島は死の直前まで『豊饒の海』の原稿に取り組み、演劇とも深く関わり、人々と会って盛んに活動していたが、そうした三島の姿はほとんど描かれることはない。もちろん、三島の有名な哄笑も、ユーモラスで洒脱な会話もない。
象徴的なのが、三島の書斎のセット。大机が置かれ、その上に三島愛用のピース丸缶はあれども、あれは仕事をする人の机ではない。背面に作り付けの書棚もない。本棚は横の壁に申しわけ程度に1棚置かれているだけ。篠山紀信の『三島由紀夫の家』ぐらい参照してほしかった・・。
東大全共闘との討論についても同様。映画からは三島の誠実さは伝わるが、三島のケタ違いのクレバーさや学生たち相手に見せる余裕は全く感じられない。
(パンフレットによれば、三島役の井浦新は、あえて他の資料に当たることなく、台本だけを読み込んだとのこと。それでは、作家としての三島由紀夫が役者の身体からにじみ出るはずがないだろう)。
11月25日の朝、書斎の机に『豊饒の海』最終回の原稿用紙が残されているが、置かれているのは、「『豊饒の海』完」という最後の1枚。実際には『豊饒の海』原稿は厳重に二重封筒に入れられて厳封されていたのだが、それでは絵にならないにせよ、いくらなんでも最後の1枚が一番上に置かれているわけはないだろう。
エンド・ロールで、三島が生涯をかけて書いた作品群のタイトルが流れたが、本編で「憂国」や「英霊の声」以外の作品が出てこないのだから、とってつけたよう。『豊饒の海』4巻も、各作品名ではなく、「豊饒の海」として一括して出されるだけだし。
三島が文学者として相応の仕事をしていることは当然の常識であり、その前提の上に映画が作られているというつもりかもしれないが、そうであっても、豊かな芸術的世界を持っていた三島がそれを切り捨てて最期の行動に走ったことを、映画としては当然映し出すべきであろう。
要するに、これは、多面的な三島由紀夫のなかの一面だけを切り取ったものであり、つまりは森田必勝ら楯の会の学生たちが見た三島由紀夫像なのだ。
映画のなかで、森田は三島の小説を読んでもわからない、と述べていた。三島の芸術作品や美的生活を理解できない人間にはこのように見えたのであろう、行動の人・憂国の士としての三島の一面を拡大して作った映画なのだ。
エロスについても同様。
サウナのなかで腰にタオルを巻いただけの裸で蹶起の計画を話し合う三島や若者たち。
ここにホモエロティックな要素を見て取れと暗示しているのか、まったくそのような要素は含んでないのか、なんとも判断のしようのない映画であった。
若松孝二の「実録・連合赤軍-あさま山荘への道程」については相当に評価し、「11.25 自決の日」はこれと対になる映画だとのことで期待していたのだが、まことに残念。
同じく作家・三島由紀夫を素材とした映画に、ポール・シュレイダーの「MISHIMA」があり、三島の生涯と、蹶起の1日の行動と、三島が残した作品と、三つの世界がコラージュして作られていた。
二つの映画ともに出てくる挿話のうち、たとえば三島と楯の会会員の若者たちが血書の署名をする場面。
「11.25自決の日」では、ひたすら生真面目。
「MISHIMA」では、互いの血を混ぜるだけに、「誰かこのなかに変な病気をもってる奴はいないだろうな」といった冗談を三島(緒方拳)が言って、若者たちを笑わせる。
どちらが実際の三島に近かったのか、明らかだろう。
私には、三島の多面的な豊饒さ、驚くべき才能、感受性、ひ弱さやコンプレックス、エロスをも含めて表出されていた「MISHIMA」の方が断然好みである。
・・というわけで、全体的な評価は上記のとおりだが、もう少し「11.25 自決の日」について。
俳優は熱演していた。井浦新は、最初、三島には見えないと思っていたが、楯の会結成のあたりから、行動の人・憂国の人としての三島になったように思う。
満島真之介も、「三島先生のために自分はいつでも命を捨てます」とてらいなく言い、三島を死においやる「純真」な森田必勝になっていた。
国際反戦デーなどの資料映像を効果的に挿入しており、蹶起に至る過程がわかりやすかったし、金嬉老事件やよど号ハイジャックについての三島の認識の判断も面白かった。また、三島邸を訪ねた少年が「先生はいつ死ぬんですか」と尋ねたという、三島の最晩年のエッセイ「独楽」の挿話を使い、その少年を映画冒頭の浅沼暗殺事件の山口二矢と同じ役者を使ったのも巧みだった。
寺島しのぶが三島夫人・瑤子を演じるが、自衛隊体験入隊以降ふっつりと出なくなり、三島自決後の最終場面で再登場するあたりも、楯の会が男同士の絆の集団であることを如実に示し、それを相対化する役目を果していた。
評価すべき点もあるものの、あまりに一面的な三島像にへきえき、というのが正直な感想。
もっとも、行動者としての三島を崇拝している人たちには、文学研究者の描く三島像もまた同様に一面的で違和感を感じさせるものなのかもしれないなあ。
もう何年も前に、院生や田山花袋研究を志す中国の研究生と一緒に上下歴史文化資料館を訪ねた記事を載せました。
資料館は、岡田美知代の生家を改築していたもので、岡田美知代とは、田山花袋「蒲団」の女弟子・横山芳子のモデルです。
その後、縁あって、私自身が岡田(永代)美知代研究に取り組むようになり、何度か上下町の資料館にもおじゃまするようになりました。
美知代は、彼女自身も多くの小説や少女小説を書いていますが、「蒲団」の影に隠れて、今日ではほとんど知られていません。
が、少しずつ、等身大の岡田(永代)美知代を読み、研究する機運が高まってきたように思えます。
昨年初めに刊行された『新編日本女性文学全集』第3巻には、美知代の「ある女の手紙」と「一銭銅貨」の2作品が収録されました。朗報です。
新編 日本女性文学全集〈第3巻〉 岩淵 宏子 長谷川 啓 菁柿堂 2011-02 |
ただ、まだ享受や研究の基礎となる著作リストも未整備ですし、年譜にも不明な箇所が多くあります。
私は一昨年から美知代の著作リストを作りはじめ、昨夏は本格的に、大学院生にも手伝ってもらって各地の図書館で雑誌調査をしました。結果は以下の通り。
・著書(単著):5冊(うち2冊が翻訳)
・著書(共著):1冊
・雑誌・新聞所収作品:205作品
・未発表原稿:10作品
これまで知られているより、かなり多くの作品を書いています。
今後の調査によってまだ作品数は増えるでしょうけど、とりあえずの中間報告としてこのたびの紀要に著作リストを載せました。
いまは、美知代が戦後に書いた未発表の原稿の翻字をしています。
もうすぐ〆切で、なぜ冬休みのうちに完成させておかない?! ……といういつもながらの反省はともかく、その原稿執筆のため、先々週末は上下町に、先週半ばには美知代の母校・神戸女学院を訪問させていただきました。
資料館からの帰り、上下高校へ。
正門付近に美知代の父・胖十郎の大きな銅像が建っています。
すみません。
逆光でシルエットしかわかりませんね。
手前に立っているのは、くっついてきた娘です。銅像の大きさがわかるでしょうか?
胖十郎は備後銀行頭取で、のちに町長にもなった人物です。
そして、要するに、「蒲団」で芳子を迎えにきた父親ですね。
銅像の前には、明治39年10月に、花袋が上下を訪ねた記念碑も置かれています。
饗応してくれた岡田家宛の花袋の礼状が刻まれています。
でも、この1年後に「蒲団」が掲載されて、岡田家に激震が走るわけですね~。
さて、神戸女学院に行った日は、あいにくの曇。午後からは雨で、残念ながらあまり写真が撮れませんでした。
曇天でも美しい!
神戸女学院のキャンパスは、昭和8年に、神戸市内の山本通りから現在の西宮市岡田山に移転されたので、美知代の時代の校舎や寄宿舎そのものではありませんが、雰囲気は伝わってきます。
私は学部と最初に勤めた大学がキリスト教系女子大だったので、この雰囲気には馴染みがあり、とても落ち着きます。
屋根ばかりか壁もある渡り廊下で建物同士がつながっていて、機能的で美しい。
神戸女学院には史料室があり、学校について種々の問い合わせに答えてくださいます。
また図書館の方々にもたいへん丁寧に対応していただきました。
そして、もちろんI様にもお世話になりました。ありがとうございます。
まだ資料の一部を拝見しただけだったので、また訪問させていただけることを願っています。
これまで取り組んできた三島由紀夫に加え、岡田(永代)美知代という新しい研究対象を得て、少しずつ臥薪嘗胆時期から脱することのできそうな年初です。
「金閣寺」日本凱旋公演
・2012年1月19日(木)~22日(日)
・梅田芸術劇場メインホール
・公式ページ・東京公演は、1月27日~2月12日
(於・赤坂ACTシアター)
宮本亜門演出、森田剛主演の「金閣寺」、ニューヨークでの上演をすませての日本凱旋公演。
明日から東京公演のようですね。
もう一週間前になりますが、私は大阪で見てきました。
初日でしたが、破綻なく、完成していました。
昨年2月の初演のレビューはこちらです。
昨年に比べて、今年は輪郭がクッキリした印象を受けました。
溝口-鶴川-柏木の、少年~青年期の男3人の物語という輪郭が、昨年よりさらに前面に出されていたように思います。
溝口-鶴川の明るい親交、溝口-柏木の陰影のある関係、柏木の告白を聞く溝口を見て去っていく鶴川。
肉体的な接触も随所にあり、ホモ・エロティシズムの要素が強まりました。
それは、腐女子向けサービス・・なんていうわけではなく、小説から亜門さんが読み取ったものなのでしょう。
小説「金閣寺」は、男性のコードでも、女性のコードでも読むことができますが、伊藤ちひろ台本は、父や老師も含めて、男同士の絆、モデル・反モデルの線で芝居を組み立てています。
と同時に、前半の溝口-鶴川の交友の場面のナレーターは柏木、後半の溝口-柏木の場面のナレーターは鶴川。
3人がリレーしながら「生きよう」という結末にいたるまで、3者が究極には同一のもの、観客も含めてみんなが溝口でありうる、といった示唆も生きていました。
もっとも、芝居から受ける印象は観劇条件にも大きく左右されます。
昨年はかなり後方の座席で、よくいえば舞台全体が見渡される、逆にいえば役者の細かい表情などは見えなかったため、大駱駝艦の方々のパフォーマンスや鳳凰のホーメイに目が引きつけられました。
今回は前列中央という恵まれた席で、役者を十分に追うことができたからかもしれませんが、若い男優3人の関係が強烈に印象づけられました。
森田剛クンは、溝口を完全に自分のものにしていました。
(体格的に似てるからか、野田秀樹さんの若い頃のような発声でした)。
大東クンはピュアな鶴川を、高岡くんはニヒルな柏木が映画版の仲代さんに重なって見えました。
再演で、とにかくアンサンブルがとてもよかったと思います。
演出では、昨年版でも印象深かった、溝口が出奔して舞鶴に行く列車の中で、過去が甦えってくるシーンがとにかくスピーディ!
亡くなったはずの父がかつて上京したときと同じく列車にいて、そこから、父-有為子-脱走兵-海機の学生-敗戦時の切腹兵(これは原作にはありません)-鶴川-米兵の女-南禅寺の女・・・と死者や死に関わる者たちが連続して表れ、ホーメイの強烈な声のあと、反転して、柏木-母-副司-老師・・・といった現世で強烈に生きる者たちの系列がつづいていくあたり、見事でした。
また、いよいよ金閣に火をつける場面も、一瞬のうちに四方の壁が取れて、強烈。
つまり溝口の内界と外界の壁が壊れて広々とした世界に出ていったというイメージです。
金閣放火のあと溝口がどのような認識に至ったかは、小説では書かれておらす、解釈も分かれるところですが、宮本演出では明確に一つの解釈を提示していました。
ところで、本公演終了後の2月15日にDVDが発売されるのですね。
金閣寺-The Temple of the Golden Pavilion- [DVD] avex trax 2012-02-15 by G-Tools |
これはどっちの公演なのでしょう?
発売時期からして、昨年の舞台なのでしょうね。
映画版の2つの「金閣寺」……雷蔵の「炎上」とATG「金閣寺」とあわせて、長く楽しめそう。
私はもちろん買います!
HIROSHIMA HAPPY NEW EAR OPERA Ⅰ
(広島の新しい耳)
「オペラ班女」
・台本・作曲・音楽監督/細川俊夫
・原作/三島由紀夫「班女」
・英訳/ドナルド・キーン
・演出/平田オリザ
・指揮/川瀬賢太郎
・演奏/広島交響楽団
・出演/半田美和子(花子)・藤井美雪(実子)・小島克正(吉雄)
・2012年1月20日(金)19時/1月22日(日)15時
・アステールプラザ中ホール能舞台
・上演時間 1時間40分
・公式ページ
見てきました。「オペラ班女」。
2004年にフランスで初演、BSで少し紹介されて、ぜひ見たいと思っていました。それが広島で上演されるなんて!!
広島男子駅伝のゴールの時間帯でごったがえす平和公園前を通って、いざアステールへ!
全6場。
もともとエクサン・プロバンスの依頼で制作されたということもあって、歌は英語。
今回はセリフの部分は日本語でした。
能舞台の左手・脇正面の部分がオーケストラ・ピット。
舞台は正面鏡板の前に屏風。花子が部屋で休む場で、この屏風に隠れます。
屏風の前にロッキング・チェアが一つ。床には、裂かれた新聞紙が敷きつめられてますが、きわめてシンプルな作り。
キャストは洋服を着て、能舞台なのであしもとは足袋。
現代音楽独特の不思議な音色にあわせて、芝居が進んでいきます。
音楽は決して全面に出ず、背景という感じ。
実子の不安から、喜びへの変化。
花子の「狂気の宝石」の美。
吉雄の最初の勝ち誇った様子から、逃げ出していく様への変化。
オペラはあまり見ることはありませんが、とても演劇的な作りだと思いました。
とくに、吉雄が帰ったあとの花子の微笑みは、もしかして狂気のふりをしているだけ?と感じさせられたほど。
現実の吉雄を拒否すれば、ずっと待ち続けていられるのですから。
また「待つ」ことをつづけさせてくれる実子のもとにいられるのですから。
プレトークで細川さんは、平田オリザさんを演出に迎えて、演劇としてのオペラの可能性を追求したかったと話しておられました。
また自分の狙いは、種々のぶつかりあいであると。
・人間同士の、愛・嫉妬などのぶつかりあい。
・現実の響きと夢幻世界のぶつかりあい。
・セリフの日本語と歌の英語という、言語のぶつかりあい
・能舞台という日本と、西洋の楽器によってかなでられる音楽のぶつかりあい
アフタートークで、オペラ初演出の平田さんは、演劇のワークショップを行なって、キャストばかりか指揮の川瀬さんもずっと参加してセリフも練習されたといった挿話を披露。
そして、現代音楽については、単純な感情移入を妨げ、気持ちよくなる寸前に不協和音が入って、いわゆる「異化」効果があると話していました。
また、ディベートの部分が長いのが三島作品の特色であるとも。
私自身は、「近代能楽集」の自由度の高さが印象に残りました。
「サド侯爵夫人」や「鹿鳴館」はある程度、上演の形が決まってしまいます。それに対して、「近代能楽集」は、美輪さんのようなゴージャスの舞台も、蜷川流の解釈も、三条会のような実験的な演出も、そして今回のオペラ版でも、どのような味付けを行なっても見ることができる、変幻自在な作品だと思います。
英語の歌も、背景の現代音楽も、全く邪魔せず、作品自体を深めていく。
また、セリフが日本語、歌は英語、という2言語の切り換えも、思ったより違和感なく聞けました。
アフタートークで細川さんは、最初から歌とセリフを分けて作ったわけではなく、キーンさんの英語の台本をみながら作曲していき、うまく音楽にしずらい箇所をセリフに回し、あるいは音楽的な流れと会話とのメリハリを考えながら作っていったと話しておられました。
もともと三島の芝居そのものが詩劇なのですから、セリフと歌の区別はないとも言えます。
今回は広島のみの公演だけど、決して地方向けとは思っていない、国際的なものを目指しているのだ、とのお話でしたが、三島演劇の可能性を広げる貴重な試みだと思います。
再演を期待します。
その点でも、客席が埋まっていて嬉しく思いました。
お久しぶりです。
あんまり久々すぎて、ココログの入り方を忘れてしまってました(^^;;)
夏も過ぎ、授業も始まり、教育関係のもろもろやら、怒濤の会議やら、学会事務やら、論文〆切やら・・・、に追われているにもかかわらず、ここ数日、慣れないことにエネルギーを費やしております。
電磁波対策です。
ことのおこりは、先月の部局の会議で、某無線通信(W●●●X)の基地局が、研究科の建物屋上に設置されるという報告があったことから。
黙っていようかとしばし迷ったものの、健康上の理由から反対の発言をしました。
(おっちょこちょいを後悔するのはいつものこと)。
・・・で、色々あったすえに、明日、業者と大学本部による説明会が開かれることに。
木曜午後という、最も授業が多く組まれている時間帯に開催するのは、なるべく出席してほしくないからで、開けというから開きました、と、形式的なガス抜きの会にするつもりなのはミエミエ。
なので、授業が終わったあと、学生さんたちには説明会があることを告知しています。
また、先週末の3連休かけてチラシをつくり、昨日の朝、生協でコピーして(大学の備品を使うわけにはいかないので)、教員のメールボックスに配布し、事務職員の方には手渡ししました。
チラシはA3で、表面は作文、裏面は図表や新聞記事などを入れた電磁波と基地局に関する資料を作りました。
以下、少々長くなりますが、表面を引用しておきます。(企業名は、伏字で)。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
31 |
曽根麻矢子: バッハ:ゴルトベルク変奏曲
最近のお気に入りは、曽根麻矢子さん。「イギリス組曲」や「イタリア協奏曲」も素敵ですが、やはりこの1枚がおすすめ。丁寧な演奏と美しい音質にとても好感がもてます。
ヨーヨー・マ: ヨーヨー・マ ベスト・コレクション
「リベルタンゴ」やバッハの無伴奏も入っているので、ヨーヨー・マで一枚だけ、となると、やっぱりこれかな。。それぞれのアルバムで聴きたいところですけどね。
Yo-Yo Ma with The Amsterdam Baroque Orchestra & Ton Koopman: Vivaldi's Cello
知性と穏やかさの感じられるヨーヨー・マの演奏。これは、よく聴くアルバム・ベスト3の一つです。
春風亭小朝: 小朝の夢高座Op.1「牡丹燈籠 ― 御札はがし」
うまい! 何でこんなにうまいんだろう。落語家につける形容詞じゃないけど、スキのないうまさを堪能できる。もっとCDを出してくれることを切望。
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